
1993年5月15日 Jリーグが開幕
-メディアでも大々的に報道され、社会現象に
-日本国内のサッカー熱が一気に高まった
1993年10月28日 ドーハの悲劇
-ワールドカップ初出場をかけたアジア地区最終予選
-対戦相手はイラク
-「この試合に勝利し、翌年に開催されるアメリカ大会への切符を手に入れる」
-日本中がそれを信じ、この試合に注目した
-チームを率いるのは日本代表初の外国人監督、ハンス・オフト
-高校一年時にブラジルに渡り、その経験を日本に持ち帰った三浦知良
-ブラジル出身で高いテクニックと熱い魂を持つ日本の心臓、ラモス瑠偉
-スーパーサブとして活躍が認められスタメンの座を勝ち取った、勢いに乗る中山雅史
-日本を代表するディフェンダーで「アジアの壁」とも呼ばれる井原正巳
-ワールドカップ出場のピースは揃っていた
-試合は開始5分、三浦知良のゴールで日本が先制
-前半は1対0の日本リードで終了した
-後半に入り、イラクの猛攻が続く
-55分、1対1の同点に追いつかれる
-追加点を取らなければ予選敗退
-絶体絶命の状況の中でも日本は諦めなかった
-69分、中山雅史が勝ち越しゴールを奪い、2対1とする
-90分が過ぎ延長戦に入った
-日本のワールドカップ初出場はすぐそこまで来ていた
-一瞬の気の緩み
-90分17秒、イラクの同点ゴール
-その場に倒れこむ選手たち
-実況は「ワールドカップに指がかかるところまで行った」と表現した
-この悲劇は、日本サッカー界にとって大きな教訓となった
1997年11月16日 ジョホールバルの歓喜
-1998年フランスワールドカップの出場をかけたイランとの一戦
-勝利したチームがアジア地区第3代表となる
-日本の思いは一つだった
-「4年前の悔しさを晴らすためには勝利するしかない」
-2002年には韓国との共催で日韓ワールドカップの開催が決まっている
-「出場国枠での初出場ほど屈辱的なことはない」という思いもあった
-チームを率いるのは直前にコーチから昇格した岡田武史
-ドーハの悲劇を経験した三浦知良、中山雅史、井原正巳などのベテランに22歳の城彰二や20歳の中田英寿などの若手が加わった、厚みのあるメンバーだった
-試合は39分に中田のパスを受けた中山が先制点を挙げ1対0で前半を折り返す
-しかし、後半開始早々、さらには59分に得点を奪われ、逆転を許す
-後がなくなった日本は、攻撃陣を入れ替え、積極的にゴールを狙う
-1対2で迎えた76分、中田のクロスボールを城が頭で合わせ、執念の同点ゴールを奪う
-試合は90分で決着がつかず、ゴールデンボール方式の延長戦へ
-両チームとも死力を尽くし、選手の体力は限界を超えていた
-日本は延長戦開始から”野人”こと岡野雅行を投入
-持ち味の俊足を活かして何度もゴールに迫った岡野だったが、チャンスをものにできず時間が過ぎていく
-残り3分を切った延長後半12分、イラクのシュートがクロスバーの上をかすめた
-4年前の悲劇が頭をよぎる
-誰もがPK戦による決着を覚悟した延長後半13分、中田のシュートのこぼれ球を岡野がゴールに押し込んだ
-我を忘れて喜びを分かち合う選手、サポーター
-日本サッカー界の悲願「ワールドカップ出場」が決定した瞬間だった
-そしてそれは、世界との戦いが始まった瞬間でもあった
1998年 フランスワールドカップ
-最終予選に引き続き岡田武史監督が指揮を執る日本代表
-ドーハの悲劇の経験選手は中山と井原のみの若いチーム
6月14日 アルゼンチン戦
-日本のワールドカップ初戦は強豪国アルゼンチン
-世界的な選手を多く抱える格上の存在
-一方の日本代表は全員がJリーガー
-実況は「初めて世界と戦うことを許された」と表現した
-幾度かチャンスを作り出した日本だったが、結果は0対1の敗戦
6月20日 クロアチア戦
-ともにワールドカップ初出場同士
-厳しい欧州予選を勝ち上がったクロアチアの完成度は高かった
-今大会の得点王となるシューケルにごゴールを奪われ、0対1で完敗
-この敗戦で決勝トーナメント進出の望みは絶たれた
-快進撃を続けたクロアチアは初出場のワールドカップで3位の成績を収めた
-今大会以降のワールドカップでもクロアチアは日本の高い壁となる
6月26日 ジャマイカ戦
-ともに2連敗で迎えた最終戦
-日本は39分、54分に得点を許した
-それでも積極的に攻め続け74分にとうとうジャマイカのゴールをこじ開ける
-歴史的初ゴールを挙げたのはドーハのピッチでもゴールを決めた中山雅史
-骨折しながらもプレーを続けた中山の執念のゴールだった
-79分には若干18歳の小野伸二を投入
-少ない時間ながら輝きを放ち、新しい時代の到来を予感させた
-全試合が終了し、日本は3戦全敗の勝ち点0
-思い知らされた世界との差
-そこにはスコア以上の開きがあった。
2002年 日韓ワールドカップ
-韓国とともに開催国となった日本
-自国で行われるサッカーの祭典に国内は異常な盛り上がりを見せた
-チームを指揮するのはフランス人監督のフィリップ・トルシエ
-メンバーには前回大会後に海外に移籍して世界を相手に戦っていた中田英寿、小野伸二
-1999年のワールドユースで優勝を果たした「黄金世代」からは小野以外にも多くのメンバーが選ばれた
-スタジアムを埋め尽くすサポーター
-割れんばかりの声援に背中を押され、日本代表は二度目の舞台に立った
6月4日 ベルギー戦
-前半は0対0で折り返すも、57分に先制点を許す
-「やはり世界の壁は高い」と誰もが思った
-しかし、59分に日本は執念の同点ゴールを奪う
-フォワードの鈴木隆行が小野からのロングパスに目一杯延ばした足で触れゴールに流し込んだ
-67分には黄金世代の稲本潤一がゴールを奪い、勝ち越しに成功する
-75分に同点ゴールを許したが、2対2の同点で終了し、ワールドカップ初の勝ち点を獲得した
6月9日 ロシア戦
-51分に稲本の2試合連続ゴールで先制
-日本はこの1点を守り切り、1対0でワールドカップでの初勝利を手にした
6月14日 チュニジア戦
-2試合が終わり、勝ち点4でグループリーグ首位の日本
-2点差以上で負けなければ決勝トーナメント進出が決まる状況だった
-日本は48分に森島寛晃、75分に中田英寿が得点し、2対0で勝利
-この結果、日本は2勝1分の勝ち点7となり、予選リーグを首位で突破した
6月18日 トルコ戦
-日本が初めて立った決勝トーナメントの舞台
-相手は強豪のトルコだった
-12分、コーナーキックをヘディングで叩き込まれ先制を許す
-日本は41分にフリーキックのチャンスを得る
-三都主アレサンドロの放ったボールは惜しくもクロスバーにはじかれた
-試合は1対0で終了し、記念すべき開催国としてのワールドカップはベスト16敗退という結果に終わった
-「ベスト8進出の壁」はその後も日本の前に立ち塞がることとなる
2006年 ドイツワールドカップ
-日韓ワールドカップ後、世界的名選手であったジーコが監督に就任
-多くの選手が海外でプレーするようになり、黄金世代もキャリアの全盛期を迎えていた
-日本の司令塔として健在だった中田英寿や、前回大会では期待されながらも落選した中村俊輔などもメンバーに入り「史上最強」と呼ばれた
6月12日 オーストラリア戦
-オーストラリアの攻撃を前に何度もゴールを脅かされたが、長年にわたり日本のゴールを守ってきた川口能活の活躍で失点を回避
-26分、中村俊輔のクロスボールがそのままゴールネットを揺らし先制
-84分、スローインからのボールを押し込まれ同点とされる
-残り1分に逆転を許し、その後も追加点を奪われた日本は1対3で逆転負けを喫した
6月18日 クロアチア戦
-21分、PKを与えた日本だったが、川口のセーブで難を逃れる
-後に世界的プレーヤーとなる20歳の新星、ルカ・モドリッチが途中出場するも日本は得点を許さない
-日本も何度かチャンスをつくったが決めきれず、スコアレスドローで試合終了
-1敗1分の日本はグループ最下位となり、予選突破が極めて厳しい状況に追い込まれた
-クロアチアはフランス大会に続き、日本にとって大きな壁となった
6月22日 ブラジル戦
-決勝トーナメント進出には2点差以上での勝利が必要
-相手は世界の超強豪国であり、ジーコ監督の母国でもあるブラジル
-ロナウド、ロナウジーニョ、カカなどワールドクラスの選手を擁していた
-先制したのは日本
-34分、玉田圭司が得意の左足で鋭いシュートを決めた
-しかし、前半ロスタイムに同点ゴールを許してしまう
-その後も追加点を許した日本は1対4で大敗
-史上最強と呼ばれるメンバーで臨んだワールドカップだったが、結果は予選敗退
-世界の壁を改めて思い知らされる結果だった
-試合終了後、センターサークルで仰向けになる中田英寿
-このブラジル戦が、日本サッカーを牽引し続けてきた男の最後の試合となった
2010年 南アフリカワールドカップ
-指揮を執るのは急病のイビツァ・オシムからバトンを受け継いだ岡田武史監督
-フランスワールドカップ以来2度目の大舞台だった
-大会前、日本代表への期待は決して高いものでははなかった
-前回大会で改めて感じた世界との差
-黄金世代からの世代交代(当時の主力世代は「谷底の世代」などと呼ばれていた)
-大会前の成績不振
-予選グループは強豪国揃い
-現状を打破するため、岡田監督は大会直前に戦術を大きく変更した
-結果、下馬評を覆してチームは躍進する
6月14日 カメルーン戦
-南アフリカの楽器「ブブゼラ」が鳴り響くスタジアム
-38分、松井大輔のクロスをワントップの本田圭佑がゴールに押し込み先制
-守っては中澤佑二、田中マルクス闘莉王らがカメルーンの猛攻を跳ね返した
-サイドバックの長友佑都は世界的選手のエトーを完封
-日本は貴重な1点を守り切り1対0で勝ち点三を獲得した
6月19日 オランダ戦
-強豪オランダとの対戦
-初戦の勢いのまま試合に臨んだ日本
-前半は0対0で折り返す
-53分、スナイデルの鋭いミドルシュートが決まり先制を許す
-積極的に攻撃を仕掛けるも得点は奪えず、0対1で敗戦
6月24日 デンマーク戦
-引き分け以上で予選突破が決まるデンマーク戦
-日本は序盤から押し込まれる場面が続く
-17分、日本はフリーキックを獲得
-本田圭佑が放った「揺れる球」がゴールに吸い込まれた
-30分、大久保嘉人が相手のファールを誘い、再度フリーキックを獲得
-キッカーはピッチ上で唯一の黄金世代、遠藤保仁
-遠藤は1点目の本田とは対照的な「弧を描く弾道」でこれを決める
-カーブ系のキックが難しいとされたこの大会の公式級を巧みに操り、技術の高さを示した
-81分、PKで一点を返される
-87分、岡崎慎司が本田との連携から追加点を取り、そのまま1対3で勝利
-2勝1敗のグループリ-グ2位で決勝トーナメント進出を決めた
6月26日 パラグアイ戦
-悲願のベスト8進出をかけた戦い
-相手は南米の強豪、パラグアイ
-日本は予選リーグ同様、果敢に戦った
-体を張った守備で相手を跳ね返し、鋭い攻撃でゴールを狙う
-しかし、パラグアイの堅い守りに阻まれ0対0のまま延長が終了
-PK戦の末、日本の敗退が決まった
-この大会、日本は戦前の予想を覆し快進撃を続けた
-監督、選手の覚悟が実を結んだ結果だった
-まさに組織、個、メンタルが融合した一枚岩のチーム
-それでも届かないベスト8
-日本サッカーはまた一つ貴重な経験を積んだ
2014年 ブラジルワールドカップ
-日本代表への期待は高まっていた
-前回大会での躍進
-本田圭佑、長友佑都、香川真司、岡崎慎司、内田篤人など、国外で活躍する選手の増加
-強豪国相手の勝利
-アルベルト・ザッケローニ監督のもと、パスワークとポゼッションを重視する攻撃的なチームをつくりあげた
-2013年11月のオランダ戦で見せた華麗な連携からの同点ゴールは今尚語り継がれている
6月14日 コートジボワール戦
-16分、前回大会でも活躍した長友と本田の連携から先制点を奪う
-初戦の先制ゴールは2大会連続で本田の一振りから生まれた
-前半はそのまま1対0で折り返す
-51分、コートジボワールは世界的ストライカー、ドログバを投入
-この交代で流れが変わり、日本は立て続けに2点を奪われ1対2で初戦を落とした
6月19日 ギリシャ戦
-両チームとも決定機を作らず試合が進行
-37分にはギリシャが退場者を出すも、日本は数的有利を活かせない
-試合はスコアレスドローで終了した
6月24日 コロンビア戦
-相手は既に2連勝で予選突破を決めているコロンビア
-勝利が絶対条件の日本だったが17分にPKで先制を許す
-前半ロスタイム、日本は本田のクロスを岡崎が頭で合わせて同点とした
-コロンビアは後半からこの大会の得点王となるハメス・ロドリゲスを投入
-彼の活躍もあり、終わってみれば1対4の完敗(クイアバの屈辱)
-2敗1分、グループ最下位という屈辱的な結果
-戦術の柔軟性やコンディショニングなど、多くの学びを日本にもたらした大会だった
2018年 ロシアワールドカップ
-解任されたヴァイッド・ハリルホジッチの後を継ぎ、大会2か月前に急遽監督に就任した西野朗
-日本チームへの期待は決して高いものではなかった
-ベテランの起用と、期待されていた若手選手の選外から「年功序列」などと揶揄された
6月19日 コロンビア戦
-奇しくも初戦の相手は前回大会の最終戦で敗れたコロンビア
-日本は4年前の屈辱を決して忘れていなかった
-6分、相手のハンドでPKを獲得し、香川真司が冷静に決め先制する
-39分、フリーキックを決められ同点となる
-前回大会と同じ展開に暗雲が立ち込めた
-73分、途中出場したばかりの本田圭佑のコーナーキックを大迫勇也が頭で合わせ逆転
-大迫は終盤には体を張ったシュートブロックで日本のピンチを救う
-スタンドには「大迫半端ないって」のフラッグが掲げられていた
-試合は2対1で終了し日本が前回大会の雪辱を果たした
6月24日 セネガル戦
-2戦目の相手は世界最高峰のフォワード、サディオ・マネを擁するセネガル
-12分、マネに先制ゴールを許す
-34分、柴崎岳の正確なロングフィードを長友佑都が巧みにトラップし乾貴士につなぐ
-乾が放ったシュートは完璧なコースでゴールに吸い込まれた
-71分、再び得点を許し1対2となる
-78分、途中出場したばかりの本田圭佑が勝負強さを見せ3大会連続となるゴールを決める
-そのまま同点で試合終了となった
6月28日 ポーランド戦
-引き分け以上で予選突破が決まる日本
-59分、先制を許す
-この時、他会場で行われていたコロンビアとセネガルの試合はコロンビアが1対0でリード
-両会場ともこのままのスコアで終われば日本の予選突破が決まる
-西野監督は重要な決断を迫られた
-積極的に仕掛けて同点に追いつき、自力で決勝トーナメントに進むか
-リスクを冒さずボールを回し、この試合を0対1で落として次に進むか
-日本代表は後者を選択した
-ドーハの悲劇では、失点さえしなければよい状況で時間を上手く使えず涙をのんだ
-「サッカーの厳しさ」を知る日本だからこその判断だった
-スタンドからのブーイングの中、日本は冷静にプランを遂行し予選突破を決めた
7月2日 ベルギー戦
-日韓大会、南アフリカ大会に続き、3度目の決勝トーナメント進出
-悲願のベスト8進出をかけた戦いの相手は、当時世界ランク3位のベルギー
-デ・ブライネ、アザール、ルカクといった世界屈指の選手を揃える優勝候補
-舞台はロシア西部に位置するロストフ
-日本は主導権を握られながらも前半をスコアレスで折り返す
-48分、柴崎岳の絶妙なスルーパスから、原口元気の見事なシュートで先制
-52分、香川真司から受け取ったボールを乾貴士がゴールに突き刺し2点目を挙げる
-若き日に同じチームでプレーした二人の息の合った連携だった
-現時点で、日本代表がベスト8に最も近づいたのはこの瞬間だろう
-日本は69分、74分に立て続けに失点してしまう
-勝ち越し点を取るため前のめりになる両チーム
-後半ロスタイム、日本のコーナーキックからベルギーのカウンターが始動
-これを確実にゴールに結びつけたベルギー
-2対3での敗戦
-ピッチに崩れ落ちる選手たち
-後に「ロストフの死闘」と呼ばれる激しい試合だった
-またしてもベスト8の夢は散り、サッカーの厳しさを味わった日本
-2010年の南アフリカ大会からキャプテンとしてチームの精神的支柱となっていた長谷部誠は、この大会を最後に代表を引退した
2022年 カタールワールドカップ
-7大会連続7回目の出場
-開催地は「ドーハの悲劇」の舞台となったカタール
-あの時、日本代表がでワールドカップの常連になることを誰が予想していただろう
-日本代表は多くの苦難を経験し大きく成長した
-監督はドーハの悲劇のピッチに立っていた森保一
-主力の遠藤航や伊藤純也はドーハの悲劇が起きた1993年生まれ
-堂安律や田中碧、冨安健洋は日本が初めて本戦に出場した1998年生まれ
-全選手が国内でプレーしていた頃とは異なり、主力のほとんどが欧州リーグのプレーヤー
-幼少期からスペインの名門クラブで育った21歳の久保建英もメンバー入りした
-大きな期待を背負った日本代表が入ったのは死のグループ
-優勝経験国のドイツ、スペイン、さらに強豪のコスタリカが顔を揃えた
11月23日 ドイツ戦
-33分、PKにより失点
-攻め込まれる日本だったが、75分に堂安律が執念の同点ゴールを決める
-さらに83分には浅野拓磨が巧みなトラップから値千金の逆転ゴールを奪う
-戦前の予想を覆し日本がドイツを撃破した
11月27日 コスタリカ戦
-日本は終始ボールを支配するも得点につながらない
-81分、コスタリカに得点を許し、そのまま0対1で敗戦
-コスタリカのシュート数は4本、枠内シュートは得点となった1本のみだった
12月2日 スペイン戦
-2試合目の悪いイメージが残る中で、対戦相手は強豪スペイン
-日本の予選突破は難しいと予想された
-開始早々の11分、早くも失点を許してしまう
-その後もボールを圧倒的に支配され時間が過ぎていく
-日本は後半開始から堂安律、三笘薫を投入
-48分、前線での連携したハイプレスでボールを奪うと、堂安が左足を振り抜き同点とする
-53分、三苫がゴールラインギリギリ(三苫の1ミリ)でボールを田中碧につなぎ、逆転に成功する
-同じ地元で育った幼馴染が生んだ劇的なゴール
-2対1で勝利した日本は決勝トーナメント進出を決めた
-試合後のインタビューでは、2010年から4大会連続出場のベテラン、長友佑都が「ブラボー」と雄叫びを上げた
12月6日 クロアチア戦
-日本に立ちはだかるのは前回大会準優勝のクロアチア
-ワールドカップでは1998年、2006年に対戦し、戦績は日本の1敗1分
-2006年大会当時20歳の新星だったルカ・モドリッチはチームの絶対的存在となっていた
-43分、日本は前田大然のシュートでクロアチアのゴールをこじ開ける
-悲願のベスト8進出に大きく近づき、スタジアム、そして日本中が熱狂した
-55分、ヘディングを叩き込まれ同点に追いつかれる
-その後、両チームともに見せ場を作るも試合は動かず
-勝負はPK戦までもつれ込み、日本はまたしてもベスト16で敗退した
-勝利したクロアチアはその後も勝ち進み3位に入賞
-だが、日本はこの大会で優勝経験国を2度も打ち負かすという偉業を成し遂げた
-ドーハの悲劇という悪夢が、約30年の時を経て歓喜に変わった瞬間だった
終わらない日本代表の挑戦
-そして今、2026年ワールドカップの開催が目前に迫っている
-「出場が目標」だったワールドカップが、今では「出場して当然」の大会になった
-初出場時は「世界への挑戦を許された」と表現された日本代表が、今では世界と互角に戦っている
-日本はこれまでのワールドカップ挑戦の歴史で、多くの貴重な経験を積んできた
-最後の数秒に泣いた試合、世界との差を思い知らされた試合、本来の力を発揮できずに涙をのんだ試合、そして、日本中が歓喜に沸いた試合
-無駄な経験は一つも無い
-これまでの全ての経験が糧となり、今の日本代表が築き上げられたのだ


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