どうしてもやる気が出ない。やるべきことはわかっているのに手をつけられない。誰にでもそういうタイミングがあるだろう。もちろん俺も例外ではない。「あと五分ゆっくりしたら動き出そう」と一時間以上思っていることがよくある。自分の「やる気スイッチ」がどこを探しても見当たらないのだ。もしかしたら、主電源から切れているのかもしれない。
今回は、そんな時にやる気を高めてくれる名言をご紹介したい。どのフレーズも、何かを成し遂げた偉人から発せられた言葉だ。彼らは例外なく、尋常ではないほどの行動を積み重ねて成功を手に入れた人物だ。つまり「やる気のオバケ」と言っても差し支えない。そんな彼らの言葉に触れ、やる気を最大限に高めていこう。
なお今回は、やる気を高めてくれる名言を以下の三つに分類してまとめている。
・努力の積み重ねが大事だと気付かせてくれる名言
・挑戦することの大切さに気付かせてくれる名言
・夢や目標を持つことの大切さに気付かせてくれる名言
【努力の積み重ねが大事だと気付かせてくれる名言】
①「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道」
ーーーイチロー
これは、プロ野球選手のイチローが、メジャーリーグで年間最多安打記録を更新した際に発した言葉だ。これまでに数多くの世界記録を塗り替えてきたイチロー。誰もがその才能を羨む人物である。しかし、才能だけで結果が出せるほどプロ野球の世界は甘くない。イチローの活躍の裏には、たゆまぬ努力の積み重ねがあった。
小学校時代の作文にはこう綴られている。
「365日中360日は激しい練習をやっています。(中略)そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球の選手になれると思います」
練習をしない日が一年に五日しかなかったということか…俺が歯磨きをサボる日の方が遥かに多いじゃないか…恥ずかしい限りだ。
イチロー選手の名言にはこんなものもある。
「努力せずに何かできるようになる人のことを『天才』というのなら、僕はそうじゃない。
努力した結果、何かができるようになる人のことを『天才』というのなら、僕はそうだと思う」
努力が結果に結びつくという信念が表れた素晴らしい言葉だと思う。
イチロー選手はその野球人生において、私たちに多くの夢や希望を与えてくれた。そして、小さなことの積み重ねが大きな成果を生むということを証明してくれた。才能だけで成功する人なんていない。夢を思い描きながら地道に行動を積み重ねることが成功への唯一の道だと心に刻もう。
②「僕は誰よりも早く練習を始め、誰よりも遅くまで残った。来る日も来る日も。何年も何年も。一夜にして成功するのに17年と114日もかかったんだ」
ーーーリオネル・メッシ
4年連続のバロンドール(世界年間最優秀選手)受賞や、所属クラブでの数々のタイトル、そしてワールドカップ優勝など、世界最高のサッカー選手の名を欲しいままにしてきたサッカー選手。それがリオネル・メッシだ。
彼はトップチームで活躍し始めた当時、よく「彗星のごとく現れた天才」などともてはやされた。17歳の若さで世界最高峰のクラブ「FCバルセロナ」の一軍でデビューを果たしたのだから、その表現にも頷ける。
しかし、メッシは決して一夜にして成功を手に入れたヒーローなんかではない。
彼は10歳の頃、成長ホルモン分泌不全性低身長症と診断された。そして、成長ホルモン投与などの治療なしでは身体が満足に発達しないと告げられたのだ。その後は治療のため自分の体に注射を打つのが彼のルーティンになった。メッシはこの治療についてあるインタビューで「日常生活に問題はなかった」と語っているが、10歳そこそこの子供にとっては、身体的にも精神的にも負担が大きかったことだろう。俺だったらきっと毎日泣いている。いまだに年に一度の予防接種が嫌でたまらないのだから。また、治療は経済的にも大きな負担となった。初めは公的な補助を受けていたものの、アルゼンチン経済の逼迫により打ち切られたのだ。
そんな苦境の中でも、メッシは日々努力を積み重ねた。その結果、13歳の時にスペインの名門、FCバルセロナとの契約に至る。
だが、スペインに渡った後も、内向的な性格から周囲になじむことができず、ホームシックに悩まされたという。
このような、決して良いとは言えない状況の中でも、メッシはくじけることなく毎日の練習に打ち込んだ。その結果が、その後の数々の栄光につながったのである。
そして、2022年のワールドカップでは、アルゼンチンを36年ぶりの優勝に導いた。35歳のメッシにとって、キャリアの集大成ともいえる大会だった。ある人は「サッカーの神様がメッシにご褒美をくれた」と表現したが、俺は違うと思う。あのワールドカップは、メッシが自分自身の努力によって掴んだものなのだ。
③「お前らが休んでいるとき、俺は練習している。お前らが寝ているとき、俺は練習している。お前らが練習しているときは、当然俺も練習している」
ーーーフロイド・メイウェザー・ジュニア
いつ聞いても心にグサッとくる言葉だ。挑発的なところがいかにもメイウェザーらしい。
プロでの戦績は驚異の50戦50勝。史上初めて無敗のまま5階級を制覇した伝説のボクシングチャンピオン。それがメイウェザーだ。
ディフェンス重視のファイトスタイルや、横柄な態度、プライベートでのトラブルなどからアンチが多いことも事実である。だがその反面、異常なまでの努力家であることも知られている。名言が嘘ではないほどの人並外れた練習量をこなすらしい。
ボクシングに興味がない人にも是非一度動画を見てほしいのだが、彼のミット打ちの速さは尋常ではない。早送りかと疑うレベルだ。あの速さのパンチを打つためには相当な努力が必要だろう。
また彼の凄いところは、スポーツ選手長者番付で何度も一位になり、「Money(金の亡者)」と呼ばれるほど大金を稼ぐに至っても、そのモチベーションを維持していることだ。「やる気の底なし沼」と言っても過言ではない。
表では派手な言動を繰り返しながらも、裏では壮絶なハードワークをこなす。そのGAPがたまらなく魅力的だ。
④「待っているだけの人達にも何かが起こるかもしれないが、それは努力した人達の残り物だけである」
ーーーエイブラハム・リンカーン
リンカーンはアメリカ合衆国第16代大統領で、史上最高の大統領と言われるほど偉大な功績を残した人物である。南北戦争中の1863年に奴隷解放宣言を発表し、多くの黒人奴隷を法的に自由の身としたことから「奴隷解放の父」とも呼ばれている。
多くの困難を乗り越えて大統領に上り詰めた人物であり、その言葉には重みと説得力がある。幼少期の貧困や母親の死、ビジネスの失敗による多額の負債、選挙での度重なる落選。さらに、一時は鬱状態に陥っていたとも言われている。リンカーンに比べれば、自分の悩みが本当にちっぽけに思えてくる。
リンカーンは逆境に負けない不屈の精神があったからこそ「努力した人たちの残り物」ではなく、本物の成功を手に入れたのだ。
気持ちが折れそうになった時はリンカーンの言葉を思い出し「残り物でいいのか?」と自分に問いかけてみることにしよう。
⑤「この世界の重要な功績のほとんどは、何の希望もないように感じられるときでも挑戦し続けてきた人たちによって成し遂げられたものだ」
ーーーデール・カーネギー
カーネギーはアメリカ生まれの作家で、代表作に「人を動かす」「道は開ける」などの歴史的名著がある。どちらも発行から80年以上経過しているが、未だに売れ続けている不朽の名作である。前者に至っては全世界で1500万部以上を売り上げている。
カーネギーは生涯にわたって様々な学問や人物について研究を続け、「人間の本質」を理解しようと試みた。そんな彼から発せられた今回の名言は、まさに人間の本質を突いている。
「何の希望もないように感じられる」とき、ほとんどの人は足を止めてしまう。そこで「あと一歩」を踏み出した人だけが、卓越した結果にたどり着く。
例えば、小説「ハリー・ポッター」の著者であるJ・K・ローリング。彼女は人生のどん底から這い上がった人物と言える。15歳の頃に母親が多発性硬化症という難病だと診断された。少しずつ弱っていく母の姿を見ることがとてもつらかったと語っている。そして、10年に及ぶ闘病の末、とうとう母は亡くなってしまったのである。それだけではない。27歳で結婚したローリングは、夫からひどい家庭内暴力を受ける。その結果、生後間もない長女を連れて夫の元から逃げ出すことになった。こうしてシングルマザーとなったローリングだったが、仕事に就くことができず、政府の援助を受けながら極貧生活を送った。さらに、このような生活が続く中で彼女の心労は限界を超え、ついには鬱病を患ってしまう。
どうだろう。誰もが認めるどん底の経験ではないだろうか。だが、そんな暗闇の中でもローリングは希望を捨てなかった。時間を見つけては、地道に「ハリー・ポッター」を書き続けたのである。そして1997年7月27日、ついに「ハリー・ポッターと賢者の石」が出版された。その後、ハリー・ポッターシリーズは世界中で反響を呼び、全世界で6億部以上を売り上げることになった。
次に紹介したいのは、カーネル・サンダース。言わずと知れたケンタッキーフライドチキンの生みの親である。ちょっと色々あり過ぎて書ききれないので、箇条書きにしてみた…
・5歳の時に父親が死去
・10歳から農場で働く
・農場を1カ月でクビになったが翌年には別の農場で働きだす
・40種以上の職を転々とする
・ガスライトの会社を起業するが倒産し全財産を失う
・事故で大怪我を負う
・好調だったガソリンスタンドの事業が世界恐慌の影響を受け撤退に追い込まれる
・開業したモーテルが火災で全焼
・好調だったレストランが新しい道路の完成により不調に陥る
・レストランを売却して借金を返済。65歳で無一文になる
「あれ?ケンタッキー・フライド・チキンは?」
そう思った人が多いだろう。安心してほしい。ここからが伝説の始まりである。
無一文になったカーネルであったが、決して全てを失ったわけではなかった。そう。彼にはレストラン事業の中で生み出したフライドチキンのレシピが残っていたのだ。
カーネルはその不屈の精神を発揮し、車中泊をしながら「ケンタッキーフライドチキン」を全米のレストランに売り込んだ。なんてパワフルな65才だろうか。しかし、そう簡単に提案が受け入れられることはなく、1010回目の営業でようやく最初の契約を勝ち取ったのだった。
J・K・ローリングも、カーネルサンダースも、カーネギーの名言にある「何の希望もないように感じられるときでも挑戦し続けてきた人」に違いない。だからこそ「重要な功績」を残すことができたのだ。


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