今から30年くらい前の話だ。
ある田舎町にAという男子大学生が住んでいた。ある日、Aは地元の仲間と心霊スポットに行くことになった。運転免許を取得したばかりの友人Bが「親の車を借りてドライブにでも行こう」と言い出したのだ。若者にはありがちな展開である。
メンバーはAと友人B、Cの計三人。同じ町で生まれ育った幼馴染だ。三人は高校までは同じ学校に通ったが、卒業後はそれぞれ別の道に進んでいた。Aは大学に進学し、BとCは地元の企業で働いている。全員が実家暮らしを継続していたこともあり、高校卒業後も定期的に集まって遊んでいた。
「B、絶対事故んなよ」
「自動車学校首席で卒業の俺に任せとけ!」
「意味わからん」
そんなくだらない会話で笑い合いながら、三人は目的地へと車を走らせた。彼らが向かった先は隣町の山奥にある廃墟。地元では昔から有名な心霊スポットだった。
今と違ってインターネットも発達していなかった当時、その場所に関する情報は人から聞いた噂話が全てだった。そのため「女性の幽霊を見た」とか「男性の叫び声が聞こえた」など、一貫性に欠ける情報ばかりだった。
地元から隣町に入り、山道を奥へ奥へと進んでいく。次第に街灯の間隔も離れていき、不気味な雰囲気になってきた。初めは盛り上がっていた三人の口数も、徐々に少なくなっていく。
「引き返した方がいいんじゃないか?」
助手席のAが恐怖を感じて言葉を漏らした。
「大丈夫だよ。ビビんなって」
Bは強がってそう言っているが、ハンドルを持つ手には明らかに力が入っている。
「この道だ」
後部座席のCがそう言って道路の脇を指さした。そこには山奥へと入っていく細い林道があった。一応車は通れそうだが、地面はほとんど整備されていない。
「ここから入っていくらしい」
C曰く、この林道を進めば目的の廃墟にたどり着くとのことだ。Cは心霊やオカルトに興味があるらしく、このスポットについて三人の中で一番多く情報を持っていた。
Aが「どうする?」と聞くと、Bは「ここまで来たら行くしかない」と答えた。
車はゆっくりと林道を進む。道はかなり荒れていて車体は左右に揺れた。街灯は全くなく、車のヘッドライトだけが頼りである。
少し行くと、車二台ほどが停められる開けた場所に出た。
「噂通りだ。ここに停めて」
静かな声でCが言った。その場所に車を停め、三人は真っ暗な車外へと出た。ここから先はCが持参した懐中電灯一つだけが頼りになる。
「ほらあそこ、廃墟が見える」
Cが森の中に懐中電灯の光を向ける。鬱蒼とした木々の奥に、確かに廃墟らしきものが確認できた。
本当は全員が恐怖で一杯だっただろう。だが、怖がっている姿を友人に見せるのはカッコ悪い。そんなプライドもあって、誰も「引き返そう」とは言わなかった。三人は暗闇の中を無言で進んでいく。辺りには木々が生い茂り、地面はぬかるんでいた。昨日まで降っていた雨のせいだろう。
彼らは廃墟の数メートル手前で立ち止まった。懐中電灯を建物に向け、全体像を確認する。そこには朽ち果てた民家があった。木造の小さな建物で、強風でも吹けば崩れてしまいそうなほど荒廃している。見るからに不気味だ。なぜこんな山奥に人が住んでいたのだろう。Aは疑問に思ったが、そんなことを口にする余裕はなかった。
「もう少し、近づいてみるか?」
沈黙を破ったのはCだった。彼はAとBの返答を待たず廃墟へと歩を進めた。二人は仕方なく後を追う。
間近で見ると建物の状況はさらに悲惨だった。柱や屋根は辛うじて残存しているが、壁や床は大部分が崩壊している。住人が使っていたであろう家具や物品も腐食した状態で散乱していた。三人はその中に木彫りの仏像のようなものが転がっているのを発見した。大きさは二十センチ程度で、顔面には目、口、鼻などがない。まるでのっぺらぼうのように滑らかな表面をしている。さらに異様だったのは、顔の表面が少し凹んでいたことだ。
「ここに来た証拠として持って帰らないか?」
Cが二人に聞いた。
「やめとこう。気味が悪いし」
Aは勇気を出して言った。絶対に触れてはいけないもののような気がしたからだ。だが、Cはそれを聞かず、仏像を拾った。
その後三人は建物の裏手に移動した。そこには一畳くらいの広さの小さな小屋があった。こちらも酷く朽ち果てている。先頭にいたCが崩れた壁の隙間に顔を近づけて中を覗いた。
「助けて、助けて」
その瞬間、小屋の中から男性の声がした。三人は恐怖を感じ、慌てて車の方へ引き返した。Bが震える手でハンドルを握り、勢いよくアクセルを踏む。
「聞こえたよな?」
「ああ、間違いなく聞こえた」
車内で確認し合ったところ、三人とも同じ声を聞いていた。
「それだけじゃない。中に誰かいた」
さらにCは小屋の中に人がいたと言いだした。一瞬の出来事だったので正確には覚えていないが、痩せ細った男が四つん這いになっているのが見えたらしい。Cの方に顔を向け、必死に口を動かしていたとのことだ。声の主はきっとその男だったのだろう。
車はガタガタの林道を抜け、ようやく舗装された道路へと出た。来た道を下り、地元の町へと車を飛ばす。だが、数百メートル程進んだところで思わぬ事態が発生した。
「あれ?おかしい」
運転席のBが焦った声で言った。助手席のAが「どうした?」と聞くと、Bは「アクセルが効かない」と答えた。酷く動揺した様子で、アクセルを何度も踏みつけている。
「とりあえず道の端に車停めて!」
後部座席からCの声が飛び、Bは言われた通りに車を停めた。
どうやら車が故障してしまったらしい。いつの間にかエンジンが止まっており、何度キーをひねってもかかる気配はない。そのうちヘッドライトやルームランプまでも点灯しなくなってしまった。辺りは暗闇に覆われている。
「どうしたらいいんだよ」
Aが弱々しい声で言った。この時代に携帯電話などはなく、助けを呼ぼうにも手段がなかった。深夜のため他に車が通る気配もない。だからといって、この暗闇の中を何キロも歩いて町まで戻る気にはなれなかった。話し合いの結果、三人は車内で朝が来るのを待つことにした。
ドアロックをかけて、時間が経過するのをじっと待つ三人。先程の体験が頭から離れず、眠る気にもなれない。
「そういえばこれ、ずっと握ってた。捨てた方がいいかな?」
静まり返る車内で突然Cが言葉を発した。彼は先程の仏像を握りしめたままここまで来ていた。
「そんな気味が悪いもの早く捨てろよ!」
Aが怒鳴るように言った。Cはそれに従い、ドアを開けて仏像を思い切り放り投げた。
「さっきの男、どっちだと思う?人間か霊か…」
またCが聞いた。AとBは「わからない」と声を合わせた。本音を言えば、そんなこと考えたくもなかった。人間、霊、どっちにしても最悪だ。三人は結局、あの声は空耳だったと結論付けた。また、小屋の中の男はCの見間違いだということにした。
車が停まって一時間ほどが経過したころ、Cがおかしな動作をするようになった。しきりに右の足首を気にしているのである。Aが「どうした?」と聞くと、彼は「実は、さっきから足首を誰かに握られてる感じがする」と答えた。後部座席にはC一人しか座っていない。Aは「そんなはずないだろ」と言ってまた黙った。その後もCは幾度となく足首を確認していた。
さらに一時間ほど経過した。外は依然として闇に包まれている。Aは助手席に座って呆然と前方を眺めていた。暗闇に長時間いて目が慣れたからだろうか。おぼろげながら、木やガードレールの輪郭が認識できるようになっている。その時、Aは視界の端で何かが動いた気がした。目を凝らして見てみると、確かにそこには動く物体がある。しかも、徐々に車の方に近寄ってきている。
「おい、何か近づいてくるぞ」
AはBとCに声をかけた。三人は恐怖のあまり、黙って見ていることしかできなかった。そして、その何かは車まであと数メートルのところまできて急に動きを止めた。ここまで来るとA達にはその正体がはっきりと見えた。
それは、やせこけた中年の女性だった。髪はぼさぼさで、まるで浮浪者のようだった。そして驚くことに、その手にはCが投げ捨てた仏像が握りしめられていた。女性は再び車の方へ進んできている。目線は三人の方に向けられているが、車内が見えているかどうかはわからない。三人は何が何だか分からず、ただただ息を殺して固まっていた。
結局、女性は何をするでもなく、そのまま車の後方へと消えていった。Aは「今のなんだよ」と声を漏らしたが、それに答えられる者がいるはずもなかった。
三人はその後一睡もできずに朝を迎えた。明るくなって初めて分かったのだが、Cの右足首には紫色のあざができていた。握られている間隔はまだなくなっていないという。
「昨日見た霊に呪われたのかも…」
Cは自分の足を見ながら心配そうに言った。とても不安そうな表情をしている。Aは「あれは幽霊なんかじゃないって。どこかでぶつけただけだよ」と返した。
どこかでカラスが鳴いている。この場所から早く立ち去りたい。三人の気持ちは一致していた。
「クソ!なんでいきなり故障するんだよ!」
Bはそう言いながら、改めてキーをひねった。すると、あっけなくエンジンがかかった。昨夜はいくら試してもダメだった。なのになぜ…理由は誰にもわからなかった。
「警察に伝えた方がいいんじゃないか?」
車を発進させてすぐ、Cが突然そう言いだした。理由を聞くと「あの男は助けを求めてた。何かの事件に巻き込まれてるのかもしれない」と主張した。
「あれは俺たちの勘違いだったんだよ。男なんていなかった」
Bがそう答えた。だが、Cは自分の主張を曲げようとしない。
「三人が同じ声を聞いたんだぞ?勘違いなわけがないだろ!霊でなければ人間だ!」
Cは自分が霊に呪われているかもしれないという恐怖から、あの男が人間だと思い込みたかったのだろう。警察に調べてもらい、その確証が欲しかったのだ。冷静に考えれば、人間だったとしても恐ろしい。だがCにとっては、その方が呪われているよりマシだった。結局Cのしつこさに負け、三人は山の麓の集落にある交番に立ち寄ることにした。
「見間違いだ。あそこに人がいるわけない」
年老いた警察官は、話を聞くなりそう言った。それでもCは「人がいた」と言い張る。最後には「調べてくれないなら110番する。あんたが動いてくれないとクレームを入れてやる」などと言い出した。警察官は「仕方がない」と言いながらある事実を教えてくれた。
その内容は次の通りである。
・・・・・・
もう何十年も前、あの民家にはある親子が住んでいた。母と息子の二人暮らしだった。息子が生まれた当初は父親もおり、三人で別の集落に住んでいたのだが、ある事情であの場所に移り住んだのだという。その理由は息子の障がいである。息子は生まれつき脳に障がいがあり、他人との意思疎通もままならなかった。それだけでなく、成長するに従い奇行が目立つようになった。同じ集落の住人に対して大声で怒鳴ったり、幼い子供を追いかけたり。そのうち、周囲から親への苦情が絶えなくなった。父親はそれが嫌になって、一人で集落から逃げ出した。稼ぎ手がいなくなったことで、親子の生活は一気に苦しくなる。母親はお金を稼ぐために仕事を始めたが、息子から目が離れることで奇行はエスカレートしていった。
息子が10歳くらいになったある日、集落の住人が大勢で怒鳴り込んできた。親子に汚い言葉を吐き捨て「ここから出ていけ」と詰め寄る。住人たちは「住む家も準備してやった」と言い、親子を強引に山奥の人気のない場所へと連れて行った。それがあの廃墟だったのである。二人は仕方なくそこで生活を始める。母親は短時間でお金を稼ぐため、街に出て体を売るようになった。「ここで二人で生きていこう」そう決意して歯を食いしばった。だが、集落から離れても息子の奇行がなくなることはなく、何キロも歩いて集落に行き、奇行を繰り返すのだった。
母親は精神的に追い詰められ、ついに息子を拘束することを決意する。小さな小屋に閉じ込め、右足首に足かせをはめて外に出られないようにした。自由を奪われた息子は、毎日朝から晩まで奇声を上げ続けた。
そんな生活が何年も続き、息子は成人を迎えた。金属で固定され続けた右足首は腐り果て、機能を失っている。その頃になると、母親は長年の苦労から精神を病むようになった。そして、その苦しみから解放されたい一心である宗教にのめり込んでいく。その宗教には独特な祈りの儀式があった。それは「仏像の顔を指でこすりながら祈ることで悪いものが吸収される」というものだった。それを信じ込んだ母親は、取りつかれたようにその儀式を行うようになる。顔をこすりすぎて目や鼻、口は消失していった。やがて、息子に食事を与えることもしなくなり、自らも食べることを拒絶して祈り続けるようになった。そして、ついに二人は餓死してしまったのである。
・・・・・・
「これを聞いてもまだ、その男が人間だって言うのか?」
全てを話し終え、警官はそう漏らした。三人は何も答えられなかったが、頭では全てを理解していた。あの男女の正体、顔が滑らかに凹んだ仏像の意味、そしてCの足首にできたあざが示すもの。
肩を落として交番を出る三人に警官は「一応見回りには行っておく」と言ったが、本当かどうかは疑わしい。「もうあそこには近づくなよ」とも忠告されたが、言われなくてもあんなところに行く気はない。
その後、AとBは何事もなく日々を送った。だが、Cは違った。右足の状態は次第に悪化していき、数週間後には足首より下が腐ったように真っ黒になった。痛みも尋常ではなかったらしい。もちろん病院には行ったが、医者にも原因がわからなかったそうだ。結局、Cは右の足首から下を切断した。その後は普通の生活を取り戻している。
これは後日談だが、この一件から十年が経った頃、(つまり今から二十年ほど前)、Aは嫌な情報を耳にした。それは、近所に住む少年が自宅のアパートで餓死したというものだった。噂によると、その少年の家にはのっぺらぼうのような仏像があったという。さらに右足首は真っ黒に腐敗していたそうである。少年の友人の話によると、心霊スポットで男女の霊を目撃し、仏像を持って帰ってから様子がおかしくなったという。
これを聞いてAは恐怖を感じた。もしあの時、Cが仏像を投げ捨てずに持ち帰っていたらどうなっていたのだろう。Cは少年と同じ目に遭っていたのかもしれない。


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