魅惑のプリン・ア・ラ・モード②

「一緒に飲もうよ」

数分後、若者Aがマサミに声をかけた。しばらく様子を見て、彼女が俺たちの連れではないと判断したのだろう。

「テキーラいっちゃう?」

「大丈夫です」

「一杯だけ付き合ってよ」

「嫌です」

「なんだよ、ノリ悪い女だな」

マサミがそっけない態度を取っていると、男達は機嫌を悪くしてまた二人で飲みだした。俺は心の底から「いい気味だぜ」と思った。

「あれ?お前、もしかして男?」

しばらくして、だいぶ酔っ払った若者Aが下品な声で言った。男の指がマサミの喉元を刺している。ついに気づいてしまったようだ。

「関係ないでしょ」

マサミは冷めた口調で言った。

「絶対そうだろ!喉仏あるじゃん!キモッ!」

Aの言葉は止まらない。マサミは正面を向いたまま無視している。

「ほんとだ!女装が趣味とか変態かよ!」

Aの後方からBが口を出してきた。カウンターの内側でドリンクをつくっていたケンケンの手が止まる。マサミは正面を向いたままだ。

「ほんとに男かどうか確認させろよ」

Aはそう言ってマサミの股間に手を伸ばした。

「やめろ」

その声はマサミの口から出たものだった。決して大きな声ではなかった。むしろ震えているように聞こえた。Aは「調子に乗んなよ」とマサミを睨みつける。

「帰れよ」

マサミの、男性とも女性ともつかない中世的な声がまた店内に響いた。男達を睨み返すその瞳には涙がたまっていて、Aから「半泣きじゃん!」とからかわれている。

「お前に俺たちを追い出す権利なんてねえだろ!」

またBが口を出してきた。こいつはAの影に隠れて好き放題言ってくる。俺は「この金魚の糞が!」と心の中で罵声を浴びせた。

「調子に乗ってんじゃねえぞガキ!」

店内に大きく響いたその声の主はケンケンだった。その野太い声質は完全に柔道家のそれだった。その迫力に若造二人は完全にビビっている。

「今すぐ出ていけ!」

ケンケンの怒声がまた投げつけられる。二人は「すいません。ちょっと調子に乗っただけっす」と謝るが、ケンケンは「早く出ていけ!二度と来るな!」と畳みかける。二人の顔が青ざめていくのがわかった。さらにのりおが「この人レスラーだよー」と追い打ちをかける。完全に心が折れたAとBは、荷物を持って店を出ようとした。

「ちょっと待てよ!」

逃げるように席を立った二人の背中に、ケンケンの声が飛ぶ。俺は「お?最後にカッコいいセリフで締めるのか?」と期待した。

「代金は払ってね♡」

ケンケンはかわいい声でそう告げると、しっかりと正規の代金を徴収した。俺は「『代金はいらねえからとっとと出ていけ!』的なノリではないんだな」と、ケンケンのシビアさに感心した。

二人が出て行った後、マサミは「ありがとうございました」と頭を下げた。

「あんたも頑張ったじゃない」

ケンケンはマサミにそう言った。そして「昔のマサミじゃ考えられない」と続けた。

「昔の」ってどういうことだろう。俺がそんな疑問を抱いていると、ケンケンはマサミに「話してもいい?」と聞いた。彼女が「はい」と頷くと、ケンケンは「実はね」と言って話を続けた。

・・・・・・

「以前のこの子は本当に憶病だった。家に引きこもって、他人とロクに口もきけなかったの」

マサミは幼少期から自分の性について違和感を感じていた。自分が男性であることがどうしても認められず、髪型や服装は女性的なものを好んだ。そのせいで小学校時代にいじめの標的にされてしまう。

「キモイ」

「近寄るな」

容赦無い言葉たちがマサミの心を傷つけた。言葉だけではない。仲間外れや肉体的な暴力もあった。マサミは言い返すこともやり返すこともできず、ただ黙って耐えた。

やがて彼女は学校で孤立してしまう。休み時間もずっと一人で過ごした。それでもなんとか小学校を卒業したマサミだったが、中学生になるといじめはさらにエスカレートしていく。

「学校に来るな」

「死ね」

最終的に、マサミは不登校になった。学校に行かず、一日中部屋に閉じこもる日々。親は心配して声をかけてくれたが、どうしても本音を言うことができなかった。

状況は変わることなく月日だけが流れ、マサミは二十歳になった。その頃になると彼女は常に「死」のことだけを考えていた。

そんな時、マサミは偶然ある人物のことを知る。その人物も幼少期から自分と同じ悩みを抱えていた。だが、ある日突然悩むのがばかばかしくなって「どうせ死ぬなら、その前に思う存分自分を解放してみよう」と思い立ち、それを実践したのだという。性に関する考え方も趣味も思考もフルオープンにして、人生をゼロからスタートさせた。すると、不思議なことにたくさんの仲間や理解者が周りに集まってきたそうだ。マサミは時間を忘れてその人物のブログに浸った。過去のものも含め、全ての記事に目を通した。これまでの経験や生い立ちを知り「自分もこんな風に人生を変えたい」と思うようになった。だが同時に「そんな勇気、自分には無い」とも思うのだった。

やがてマサミは「この人に会ってみたい」と思うようになる。引きこもり生活を続けてきた彼女にとって、それには大きな決意とパワーが必要だった。会って話してみたいけど、その勇気も行動力もない。でも会いたい。

最終的に、葛藤する彼女を後押ししたのは他でもないそのブログのタイトルだった。いつも見ているブログのトップページには、毛筆書体で大きく書かれた「本気モード」の文字が鎮座している。その力強いブログタイトルを見て、彼女は「私も本気になってみよう」と思うことができた。

会いに行くことを決意したマサミは、部屋を出て大きな一歩を踏み出した。向かった先はその人物が経営する「プリンア・ラ・本気モード」というふざけた店名のゲイバー。店の前に到着し、恐る恐る扉を開けると、そこには目的の人物であるケンケンがいた。

ケンケンは画面で見たままの柔道家みたいに大柄なおじさんだった。見た目は少し怖いけど実際はすごく気さくで、マサミの心は少しずつほぐれていった。誰かとこんなに会話したのは何年ぶりだろう。とはいっても、マサミから率先して話したというわけではなく、ケンケンに聞かれたことに答える時間が大半だった。それでも自分の過去の大部分をケンケンに伝えることができた。

「いじめられてた時、なんで言い返すことができなかったんだろう」

マサミがぽつりとつぶやくと、ケンケンは「大丈夫。今日から変わりましょうよ」と言ってくれた。

それからマサミは定期的に「プリンア・ラ・本気モード」を訪れるようになった。いつからか仕事も始め、長い引きこもり生活から脱出することができた。とはいえ、まだ他人のことが怖い気持ちが消えたわけではなく、未だに人とうまく関わることができないでいる。だが、ケンケンとの出会いが彼女の生きるきっかけとなったことは間違いない。

・・・・・・

「そんな過去があったんですね」

話が終わり、のりおがそうこぼした。マサミは過去を思い出しているかのような遠い目をしている。

「あんた、強くなったよ」

ケンケンにそう言われたマサミは、こちらに向かって少し恥ずかしそうに笑顔を見せた。その瞳に涙はもう無い。

話を聞いて、俺は猛烈に反省した。いじめなんてしたことはないし、酷い言葉を吐いたこともない。だが、心のどこかでケンケンやマサミのような悩みを抱えている人を蔑んではいなかっただろうか。二人の過去を知って、その愚かさに気づくことができた。

夜も深くなり俺とのりおは店を出ることにした。いつも以上に飲んだから、かなり高い料金を請求されるだろう。そう覚悟していたのだが、ケンケンから告げられたのはかなり安い金額だった。俺は間違っていないか確認した。

「あいつらから徴収した金額分、割り引いておいたわ。あなたたち二人にも嫌な思いさせちゃったからね。迷惑料よ」

俺はケンケンのことが好きになってきた。あくまでも一人の人間として。

店を出る直前、のりおが「漏れそう」などと言いながらトイレに入った。

「のりお君って、しげる君のこと狙ってるんじゃない?」

ケンケンが唐突に言ってきた。俺は予期せぬ発言に戸惑った。言っている意味が分からない。

「だって、ずっとしげる君の顔見てたわよ」

ケンケンはそう続けた。この人は勘違いしているようだ。俺がのりおとマサミの間に座っていたからそのように見えたのだろう。俺は「のりおはマサミさんのこと見てたんですよ」と教えてあげた。

「違うわ。だって、さっきマサミがトイレで席外している間も、ずっとあなたのこと見つめてたもの」

衝撃の事実だった。だが、どうしても信じたくない。あの何かに見とれているような表情が、俺に向けられていたなんて!

ケンケンが言っていることが事実なら、俺はのりおに狙われている。つまり、のりおはゲイということである。

「しげるくん、男受け良さそうな顔してるもんね。あたしもタイプよ」

ケンケンがそう言ってふっと笑った。俺は恐怖を感じた。言っておくがゲイを否定しているわけではない。認め合うことが大事だと先ほど学んだばかりだ。ただ、自分が狙われているとなると少し話が変わってくる。

「あ〜すっきりした」

のりおがトイレから戻ってきた。「じゃあ帰ろうか」などと言いながら店を出ようとする。

「また来てね」

後方からケンケンが俺の肩を揉んできた。のりおの癖と重なる。先述の通り、のりおもたまに俺の肩を揉んでくるのだ。もしかして、ゲイ特有の所作なのか?そういえばケンケンはボディタッチが多かったが、のりおも俺の体をよく触ってくる。まずい。のりおゲイ説がだんだん濃厚になってきた。

「なあ次どこ行く?」

店を出ると、のりおが肩を揉んできた。思わず全身に鳥肌が立つ。

「今日は疲れたから帰るわ」

俺はそっけなく答えた。これ以上その気にさせてはかわいそうだ。のりおとは少し距離を取った方がいいかもしれない。

「そうか。わかった」

のりおは寂しそうな顔をした。

「じゃあな」

俺は心を鬼にして、冷たく突き放した。

「待って。しげるに伝えたいことがあるんだ」

背中を向けた俺にのりおの声が届く。嫌な予感がした。「伝えたいこと」ってなんだろう?もしかして愛の告白じゃないだろうな?本当にそれだけは勘弁してほしい。

「な、なんだよ」

俺は恐る恐る振り返った。緊張で下半身が震えている。

「実は、俺、彼女ができたんだ」

のりおは真剣な顔でそう言った。どうやら俺の心配は全て勘違いだったらしい。思わず全身の力が抜け、その場に膝をついてしまった。「大丈夫か?」というのりおの声掛けに、思わず「彼女ってことは、女だよな?」と返してしまい、「当たり前だろ!」と突っ込まれた。話を聞いてみると、数カ月前から仲良くしている女性に昨日告白し、めでたく付き合うことになったらしい。

勝手に心配した俺が馬鹿みたいだ。

ほんとやんなっちゃう。

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