黒マッチョこと三郎さんがやっているパーソナルジム「ワクワクゾーン」に通い始めて一か月半が過ぎた。三か月の契約なので、約半分が過ぎたということになる。理想の体型に近づくために日々頑張っているのだが、正直言って思うように成果が出ていない。
初めの一カ月は順調だった。休まずジムに通い、三郎さんの指示通りに自宅トレーニングや食事管理を実行するとことで、体重、体脂肪率は計画通りに落ちていった。
だが、ここ二週間ほどはいくらやっても数値が変化しなくなった。スランプというやつだろうか。
特にこの数日はモチベーションが急激に落ちており、自宅でのトレーニングをサボるようになっている。
そして昨日の夜、ついに最悪の行動を取ってしまった。全てがどうでもよくなって、暴飲暴食をしてしまったのである。手始めにコンビニで買ってきた唐揚げ弁当を完食。もちろん缶ビールも開けた。甘いものも食べたくなって、冷蔵庫のシュークリームに手を出した。すると今度は塩辛いものが欲しくなってスナック菓子の袋を開けた。つまみはもちろん缶ビール。この時すでに三本目である。酒を飲むとシメに炭水化物が欲しくなるのは世の常だ。最後にカップラーメンを平らげてフィニッシュした。
ということで、今日はジムに行くのがとても憂鬱だ。罪悪感が半端ではない。三郎さんにどんな顔をして会えばいいのだろう。
「しげる君、最近サボってないかい?」
ジムで体重と体脂肪を計測した瞬間、早速三郎さんに指摘された。この人には全てお見通しのようだ。
俺は隠していても仕方がないと思い、正直に話した。
「実は最近、なかなか数値が落ちなくて、やる気が出ないんです。それで、実は昨晩やけになって暴飲暴食してしまいました。すいません」
俺がそう言うと、三郎さんは「そうか」と残念そうな表情を見せた。
「どうすればいいんでしょうか」
俺は単刀直入に質問した。
「まず確認だけど、まだ目標を諦めたわけではないんだね?」
三郎さんが俺の瞳を見つめる。
「もちろんです!こんなところで投げ出すのは絶対に嫌です!」
俺は目を逸らさず答えた。
「そうこなくっちゃ!」
三郎さんはそう言って笑顔を見せた。少年漫画でしか聞かないようなセリフを自然に口にできるのがこの人の特徴だ。
それから二人で現状と解決策について話し合った。
「今のしげる君の状況を説明しよう。ずばり、ゴールの自分の引力が弱くなってる」
「どういうことですか?」
俺は三郎さんの言っていることが全く理解できなかった。
「ワクワクボードは毎日眺めているかい?」
「いいえ、初めのうちは毎日眺めていたんですが…」
「なぜ見なくなったんだい?」
「頑張っても体重や体脂肪が落ちなくなってきて、見るのが馬鹿らしくなってきたんです。見ても心が踊らなくなったというか…」
「それはね、目標を達成した自分の姿、つまりゴールの自分をリアルに想像できていないからなんだ」
「はあ」
「初めのうちはモチベーションも高かったし、行動と成果が連動していた。だから、ゴールの自分をワクワクしながらイメージできた」
「はい」
「でも成果が出なくなってきて、それができなくなった」
「なぜですか?」
「目標を達成できないんじゃないかという不安や、達成できなくてもいいやという逃げの気持ちが芽生えたんだよ」
図星だった。
「その通りかも知れません。どうすればいいんですか?」
「まず理解してほしいのは。人間は未来の自分の姿に引っ張られて今の行動を決めるということ」

「はあ」
「例えば、トレーニングを始めたばかりの君は、目標を達成した姿、つまり『遠い未来』の姿に引っ張られて行動していた」
「なるほど」
「でも今の君は、トレーニングや食事管理をサボったときの楽をしている自分、つまり『近い未来』の姿に引っ張られてる」
「遠い未来と近い未来…時差があるんですね」
「いいところに気づいたね」
三郎さんに褒められて少し誇らしげな気分になった。
「ポイントはどちらがリアルでワクワクするかなんだ。ワクワクが強いほど引力も強くなるからね。つまり今の君は目標を達成した自分より、短期的に楽をする自分にワクワクしてるってことだ。だからそっちに引っ張られる」
「でも、人間誰しも短期的な快楽に目が行ってしまいませんか?」
俺は少し語気を強めた。
「そう。遠い姿であればある程ワクワク度を上げるのは難しい。だからこそ、目標は自分が心の底から願っていて、考えるだけで気分が高まるものじゃないとダメなんだ」

「じゃあ、今の自分みたいに、将来の姿のワクワク度が下がってしまったらどうすればいいんですか?」
「さすがしげる君。いい質問だ」
俺はまた誇らしくなった。
「大前提として目標のワクワク度を高めることが一番の理想ではあるけど、どうしても難しい場合が確かにある。そんな時は『明日の自分と会話すること』から始めてみよう」
「は?」
また三郎さんがアホなことを言い出した。
「例えば、今君がトレーニングをサボって甘いものを食べるという誘惑に負けそうになっているとしよう。短期的な快楽だから、すごく引力が強い」
「はい」
「そんな相手に、遠い未来のワクワク度が下がった目標を競わせても勝ち目はない」
「でしょうね…ではどうしたら?」
「できるだけ近くてワクワクする姿を競わせる。それが明日の自分だよ」
「うーん、なるほど…」
困惑する俺の表情を見て、三郎さんは説明を続けた。
「トレーニングを頑張って甘いものを我慢した場合、明日の君はどんな気持ちだと思う?」
「それは、充実感でいっぱいだと思います」
「だよね?でも、短期的な快楽を前にすると、そんな姿を想像する余裕は無くなってしまう。そこで有効なのが、意識的に明日の自分と会話する手法なんだ」
「意識的に明日の自分と会話する…」
俺は三郎さんの言葉を繰り返した。
「じゃあ早速やってみよう」
三郎さんが唐突に言った。
「…」
いきなり言われてもどうすればいいかわからない。俺は沈黙した。
「さあ!」
無言の俺を無視して三郎さんが強く促してくる。
「さあ!と言われましても…」
「難しく考えなくていいんだよ。ストレートに今の気持ちとか聞いてみたらどう?」
「わ、わかりました。やってみます」
俺は言われた通りに、明日の自分に話しかけてみた。
「昨日、トレーニング頑張ったらしいな。今の気持ちは?」
「…」
一人二役なので明日の自分の言葉も俺が言わなければならない。だが、恥ずかしさを感じて黙ってしまった。
「さあ!答えてごらん!」
また三郎さんの檄が飛ぶ。俺は意を決して明日の自分になりきった。
「最高だよ!トレーニングのおかげで気持ちよく朝が迎えられたし、とてもポジティブな気分さ。多少筋肉痛はあるけど、それすら心地いいんだ。誘惑に負けなかった自分に対して自己肯定感も上がってる。ほんとにトレーニングしてよかった〜!」
自分が作り出した明日の自分は、予想以上にテンションが高かった。
その後も何ターンか会話をしてみた。やってみると、確かにワクワク感が高まってくる。だが、トレーニングをサボって甘いものを食べる誘惑は強敵だ。今のところ、サボるかサボらないか、五分と五分の心持ちである。
「三郎さん、頑張りたい気持ちとサボりたい気持ちがせめぎ合ってます」
俺は正直に今の心境を説明した。
「そんなしげる君に、秘技を伝授しよう」
「なんですか?早く教えてください」
秘技なんて大袈裟だと思いつつ、効果を高めることができるなら是非知りたいと思った。
「なあに、簡単なことさ。まず質問だけど、誘惑に負けた場合、明日の自分はどんな気持ちだと思う?」
「そりゃ、すごく後悔してるでしょうね」
当たり前のことを聞かれ、俺は少し拍子抜けした。
「だよね。じゃあ誘惑に負けてしまった自分とも会話してみてごらん」
「何言ってるんですか。そんなことしたら、甘いものを食べる罪悪感が増してしまうじゃないですか……は!そういうことか!」
その瞬間、脳内に電撃が走った。
つまり、理想の行動を取った自分と、サボってしまった自分のどちらとも会話することで、充実感と罪悪感をどちらも感じることができる。それが強い引力となって理想の行動を促してくれる。
「ザッツライト」
三郎さんはそう言って親指を立てた。俺はすぐに実践してみた。
「昨日、トレーニングサボって甘いもの食べたらしいな。今の気分は?」
「そうなんだよ。気分は最悪だ。自分の気持ちの弱さに失望してる。また目標から遠ざかってしまったよ。夜遅くに食べたから胃がもたれもしてるし」
この瞬間、釣り合っていたシーソーが大きく傾き、トレーニングする気持ちがサボりたい気持ちを上回った。
「三郎さん!俺、これからはトレーニングサボりません!」
「素晴らしいマインドチェンジだ」
「短期的な快楽に負けそうなときは、誘惑に打ち勝ったときと負けたときの自分、どちらも想像するといいんですね!」
「ザッツライト!二つの引力を足し合わせることで、短期的な快楽という強力な引力に勝つことができるんだ」
三郎さんがまた親指を立てた。

「なるほど」
俺はこの手法の効果に深く納得した。三郎さんは最後に以下のように付け加えた。
「ただ、これはあくまでも応急処置に過ぎない。さっきも言ったけど、一番の理想は長期的な目標を達成している姿にワクワクして、その姿に行動が引っ張られることだから、それは忘れないようにしてね。でも、明日の自分との会話を繰り返していると、自然に将来の自分へのワクワク感が復活してくる人が多いんだ」
「そうなれるようにがんばります!」
俺は力強い口調で返した。
「そうこなくっちゃ!」
三郎さんの口からまた少年漫画みたいなセリフが飛んできた。


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