「魅惑のプリン・ア・ラ・モード」の記事で、のりおに彼女ができたことが発覚した。実は先日、その彼女に会う機会があった。のりおが「しげるにも紹介するよ」と言って、半ば強引に食事会をセッティングしたのだ。俺は「別に紹介してほしくはないけど」と言いつつも、本心では「どんな彼女なんだろう」と興味津々だった。
会場は小洒落たレストラン。のりおが予約してくれたらしい。
「ここ、前から気になってたんだよね」
のりおが言った。おそらく嘘だろう。彼がこんなシャレた店に興味を持つなんてありえない。俺と二人のときはいつも「ここよさそうじゃない?」などと言って汚い定食屋や安い居酒屋を選ぶくせに。おそらく、できたばかりの彼女の前でカッコつけたいのだろう。
店員に案内されて四人掛けのテーブル席につく。俺の向かいにのりおと彼女が並んで座った。
「こちら、彼女のけいこ」
のりおはそう言って俺に彼女を紹介した。
「こっちは親友のしげる」
続けて彼女に俺を紹介する。
「どうも」
俺と彼女の声が重なった。
けいこちゃんは地味でおとなしそうな女性だった。服装は少しダボっとした白系のパンツに、大きめのグレーのカーディガン。肩までの黒いストレートヘアに丸眼鏡。すっぴんかと思えるくらい化粧っ気がなかった。年齢は俺たちと同じらしいが、かなり幼く見える。
書くかどうか迷ったが書いておこう。けいこちゃんはとても美人だった。終始うつむき加減なので気付きにくいのだが、よく見ると目鼻立ちがかなり整っている。こんな子がのりおの彼女だなんて、信じられない。信じたくない。正直に言おう…「悔しいです!」
会の序盤は二人の出会いやこれまでのことを聞いた。どこで出会ったのか、いつから付き合い始めたのか、のりおはどんな告白をしたか、など定番の内容だ。けいこちゃんは無口らしく、ほとんどのりおが話していた。
俺は、けいこちゃんにもう少し話してほしいと思い、直接質問をぶつけてみた。
「けいこちゃんは、仕事何してるんですか?」
「じ、事務職です」
「何系の会社?」
「い、印刷会社です」
「大変でしょう?」
「い、いえそんなには」
相変わらずうつむき加減で、声は小さい。かなりの人見知りなのだろう。俺は心が折れそうになりながらも、もう少し質問を続けてみることにした。
「趣味とかある?」
少しの沈黙のあと、けいこちゃんは答えた。
「相撲です」
「え!?」
俺とのりおの反応が重なった。のりおも初耳のようだ。この物静かな女性の趣味が相撲とは…にわかには信じ難い。
「すもうって『どすこい』とか『はっけよいのこった』とかの、あの相撲?」
俺はよくわからない確認をした。
「はい、あの相撲です」
けいこちゃんはハッキリと答えた。そして続けた。
「父が相撲ファンなので、その影響です。『けいこ』と言う名前も『稽古』が由来です」
「嘘だろ!?」
「本当です」
俺はそのネーミングセンスに驚きを隠せなかった。
「男同士がぶつかり合う姿って、素敵じゃないですか?」
初めてけいこちゃんが顔を上げて話した。ただ、全く同意できる内容ではなかったので「そ、そうだね」と答えて受け流した。
「好きな力士とかはいるの?」
「千代大海です」
まさかの回答が返ってきた。千代大海といえば1990年代から2000年代にかけて活躍した力士だ。強烈な突っ張りを武器に大関まで上り詰め、引退後の現在は師匠として九重部屋を率いている。大関在位数は歴代1位タイ。真の実力者と言っていい。なぜこんなに詳しいかと言うと、実は俺も昔から大相撲ファンなのだ。
「誰それ?」
のりおが言った。けいこちゃんが千代大海について説明する。のりおは頷きながら真剣に聞いている。
「最近の力士は好きじゃないの?」
一通りの説明が終わった後、のりおが尋ねた。ごもっともな疑問だ。最近は若手力士がたくさん活躍しており、相撲ファンの女性も増えていると聞く。
「推しの若手力士はいるんですが、千代大海を超える人はいません」
けいこちゃんは断言した。そして、好きな理由や、千代大海に関するエピソードなどを熱心に語りだした。
「千代大海は大分出身で、小さなころから体格が良く、格闘センスも抜群で、柔道や空手では全国レベルの逸材でした。ちなみに、中学時代に市内の相撲大会で優勝したのですが、決勝戦の相手が漫才コンビ、パンクブーブーのボケの人、佐藤哲夫さんだったことはあまりにも有名な話です」
俺は「そんなに有名じゃない」というツッコミを飲み込んだ。けいこちゃんがあまりにも真剣に話していたから。
「学生時代の彼は不良としても有名でした。巨大な暴走族を率いて九州全域にその名を轟かせていたそうです。中学卒業後もヤンチャを続けていた彼ですが、見るに見かねた母親の『あんたと心中する』という言葉をきっかけに心を入れ替えました。そして元横綱千代の富士が率いる九重部屋に入門しました。入門志願の理由を聞かれ『親孝行がしたいから』と言ったそうです。ちなみに彼は幼い頃に父親を亡くしています」
けいこちゃんはそれまでの無口が嘘だったかのように饒舌だ。
「こうして角界入りした千代大海は、怪我に苦しみながらも地道に勝ちを重ね、番付を上げていきます。1998年の7月場所では、今でも語り継がれる武双山との対戦がありました。激しい張り手の応酬となったこの一戦は、まさに男の意地と意地とのぶつかり合いで、私の一番好きな取り組みです。残念ながら千代大海は負けてしまったのですが…」
この一戦は俺も知っている。一度動画で見たことがあるが、すごい迫力だった。
「それからは?」
のりおが話の続きを促した。
「1999年には幕内初優勝を飾り、大関に昇進しました。地元の大分で行われた優勝パレードの際、ある白バイ隊員は『かつて追いかけ回した奴を今は先導するようになった』と語っています」
素敵なエピソードだ。
「その後、浮き沈みはありながらも2009年まで10年に渡り大関の地位を保ち、2010年に現役を引退しました。大関在位65場所は今でも歴代1位タイの驚異的な記録です。引退の際に行われた断髪式では、母親にハサミを入れてもらうことで感謝を示しました。母親から労いの言葉をかけられた千代大海は、溢れる涙を堪えきれなかったそうです。大相撲での彼の活躍は、最高の親孝行だったのではないでしょうか」
けいこちゃんの話が終わった。映画みたいなストーリーで、のりおも俺も聞き入ってしまった。
「す、すいません。話し過ぎました。」
けいこちゃんが小さな声で言った。話を終え、また人見知りな女性に戻っている。
「そんなことない。すごく素敵な話だった。相撲について、もっと教えてよ」
のりおが言った。俺も同感だった。
それからは、たくさん相撲のことを教えてもらった。相撲のことになると、けいこちゃんはとても饒舌になった。
「今日は勉強になったなー」
のりおが満足そうに言った。
「なんか、相撲取りたくなってきた」
調子に乗って、よくわからないことを言っている。
「そんなに細い体で相撲なんて取れるの?」
俺はふざけて聞いてみた。のりおは長身の痩せ型だ。
「少なくとも、しげるには負けない!自信がある!」
挑発的に返してきた。彼女の前だからだろうか。今日ののりおはいつもより少し強気だ。
「俺ものりおには勝つ自信がある。たしかめてみる?」
もちろん本気で言ったわけではない。「やるわけないだろ」みたいなツッコミを入れてもらい、話を終えるつもりだった。だが、のりおの反応は期待したものと違った。
「その勝負、受けて立とうじゃないの!」
のりおはキメ顔でそのように言った。
「この店のすぐ近くに公園があるから、そこでやろう」
一人で具体的な話に進んでいる。
「おい!本気にするなって!」
俺がそう止めても聞く耳を持たない。
「けいこちゃん、俺の姿、見ててくれよ!」
そう言われたけいこちゃんは困り顔だ。おそらくのりおの心には先程の「男同士がぶつかり合う姿って、素敵じゃないですか?」というけいこちゃんの言葉がこだましているのだろう。彼氏として素敵な姿を見せたい気持ちはわかる。だが、彼女が見たいのは鍛え抜かれた力士の激突であって、おっさんの抱きつき合いではない。
「のりお!冗談だって!やめとこう!」
「いや、やる!」
必死の説得にも応じず、のりおは半ば強引に店を出て、公園に向かった。俺とけいこちゃんはついて行くしかない。
公園に着くと、のりおはグラウンドに靴で円を描いた。即席の土俵だ。
「さあ、早速やるぞ!」
のりおは気合い十分である。俺に逃げ場はなさそうだ。覚悟を決めて土俵入りする。街灯の下、円の中心で対峙する二人。
「けいこちゃん、行司は任せたよ」
のりおからけいこちゃんに大役が託された。
「はい」
けいこちゃんは意外にも迷いなく受け入れた。そして、真剣な顔で「お二人の四股名は?」と聞いてきた。四股名とはいわゆる力士の名前だ。
「何言ってるの?」
俺は聞き返した。おっさんの相撲対決に四股名など不要である。
「呼出からしようと思いまして」
けいこちゃんが答える。呼出とは「東〜◯◯、西〜◯◯」のように力士の四股名を読んで土俵に呼び込むこと。そんなの絶対に必要ない。「はっけよいのこった」だけ言ってくれればそれでいいのだ。
「確かに。じゃあ俺は『のりお大海』で、しげるは『しげる山』でどうだ?」
のりおが提案した。けいこちゃんが即答で「いいですね」と返した。目の前の二人が相当なバカップルに思えてくる。俺は「呼出はいらないからさっさと終わらせよう」と言った。
「しょうがないな」
のりおはそう言うとその場で何度か四股を踏んだ。思いのほか足が上がっていて驚いたが、四股としてはとても弱々しい。

「よし、やるぞ」
腰を落として拳を地面につけたのりお。俺も仕方なく同じ態勢になり、向かい合う。
「待ったなし!見合って見合って!」
けいこちゃんは完全に行司になりきっている。少し緊張してきた。
「はっけよい、のこった!」
今日一番の大きな声で世紀の一戦が始まった。
二人の体が勢いよくぶつかり合う。と言いたいところだが、俺たちにそんな勇気はない。とてもぎこちない動きで、なんとなく体が重なった。もちろん、大相撲のような「ドン」という鈍い音はしない。ほとんど無音だ。
俺はのりおの腰に巻かれたベルトを両手で掴み、前へ前へと押した。のりおは一歩、二歩、三歩と簡単に後退した。だが、土俵際ギリギリのところで意地を見せ、なんとか円の中に残った。予想以上の踏ん張り力で、なかなか押し出せそうにない。俺は戦法を変え、上手投げを繰り出そうと右手に力を込めた。
「そりゃ!」
掛け声とともにのりおを投げようとした。が、俺の右手にそんなパワーがあるはずもなく、二人の体が反転しただけに終わった。つまり立ち位置が逆転しただけである。
勝負はそのまま膠着状態となった。体力を使い果たし、ベルトを掴み合ったまま動かなくなった二人。
「はっけよーい!はっけよーい!」
行事のけいこちゃんが、積極的に動くよう促してくる。だが二人とも動くことができない。
「はっけよーい!はっけよーい!」
夜の公園に行事の声が響いている。彼女は完全に本気モードのようだ。
「はい!はっけよーい!はい!」
俺は早く終わらせたい一心で最後の気力を振り絞った。全身に力を込めてのりおを押す。
「グキリ」
その鈍い音がしたのは、右足を一歩前に出した瞬間だった。同時に物凄い痛みが右足を襲った。どうやら足首をひねったようである。俺は立っていることさえできず、そのまま地面に転倒した。
「やった!勝った!」
意識朦朧の中、のりおの喜ぶ声が聞こえてくる。
「のりお大海~」
行司が勝った力士の名を呼んでいるようだ。だんだん意識が遠くなっていく。
それからのことはあまり覚えていない。のりお曰く「先帰るわ」と言って足を引きずりながら帰宅したそうだ。おそらく、激痛で頭がおかしくなっていたのだと思う。ちなみに、翌日病院へ行ったところ、捻挫と診断された。
後日のりおから「本当はわざと負けてくれたんだろ?ありがとう」と言われたので「今回だけだぞ」と返しておいた。
あの日がきっかけで、けいこちゃんとの仲はさらに深まったそうだ。


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