先週末、のりおと飲みに行った時の話だ。一軒目の居酒屋で気分が良くなった俺たちは、もう一軒飲みに行くことで意見が合致した。
だが、どこに行くかがなかなか決まらない。
「もう一軒居酒屋?それともカラオケにする?」と俺が提案すると「どっちも飽きたな」と、のりおが言う。
「じゃあどうするんだよ」
俺が不機嫌そうにそう問うと、のりおは少し考えて「ゲイバーは?」と答えた。
「先輩から聞いたんだけど、ゲイバーって結構面白いらしいぜ」
のりおには珍しく、熱心に勧めてくる。その瞳は、ショーウィンドウのドレスを見つめる貧しい女の子のようにキラキラしていた。俺は特に行きたくもなかったが、その眼差しに心を動かされ、行くことに同意した。
「よし!じゃあ行くぞ!すぐそこだから!」
のりおはそう言って俺の両肩をグニグニと揉んできた。テンションが上がったときに出るいつもの癖だ。普段は静かな男なのだが、今みたいに一気に距離を詰めてくる瞬間がたまにある。抑えていた感情が一気に爆発したみたいに。
先輩から教えてもらったというその店は、一軒目の居酒屋からほど近い場所にあった。俺は歩きながらゲイバーについてのイメージを膨らませた。いわゆるオネエ系のド派手な店員とワイワイする店。そんなイメージが頭に浮かんだ。きっと、すごいハイテンションなのだろう。俺はそのノリについて行けるだろうか。想像すればするほど不安が込み上げてくる。
数分歩いたところで、のりおがとある雑居ビルの前で立ち止まった。
「ここだ!」
そう言って彼が指差した先には、店の看板が掲げられていた。
『プリン・ア・ラ・本気モード』
「本気」の部分が太字で強調されている。
俺の不安は一気に最高潮に達した。こんな意味不明の店名を見たのは初めてだ。
「本当に行くのか?」
俺はのりおに最後の確認をした。
「プリン・ア・ラ・本気モード」
彼はそう言って親指を立て、前歯を光らせた。そして、勢いよく店の扉を開けた。
「いらっしゃい」
店に入った瞬間、カウンターの奥にいる男の低い声がこちらに届いた。俺は「どうも」と小声で返しながら店内をぐるりと見回した。想像していたような派手な店ではなく、居酒屋とバーを足して二で割ったような落ち着いた雰囲気の店だった。俺たち以外に客はいない。
「ここ、座って」
先程と同じ男が、また低い声で言ってきた。俺たちは促されるままカウンター席に腰を下ろした。今のところ、イメージしていたようなゲイバーの要素は一つもない。男はカウンター越しにおしぼりを渡してきた。その腕は「ふくらはぎか?」と思わせるほどに太い。そもそもこの男、がっちりした体つきで髪型は坊主。THE・柔道家といった風貌だ。
店内にはもう一人従業員がいた。カウンターの奥でグラスを磨いている。外見はどこにでもいるような、THE(ジ)・おじさん。表情が硬く、なんとなく無口で頑固そうに見える。
俺は心の中で「ゲイバーなのに普通の男性が二人いるだけってどういうことだ?」「オネエ系のド派手な店員はいつ登場するのだろう?」「これじゃあその辺の居酒屋と同じじゃないか」などと思いながら、とりあえずビールを注文した。
しばらくして、THE・おじさんがドリンクを運んできた。慣れた手つきでコースターの上にグラスを置くと、「どうぞ」と言ってこちらに視線を送ってくる。上目遣いのおじさんと目が合った。
「可愛い顔してるわね」
おじさんは確かにそう言った。俺は何を言っているのか理解できず、フリーズした。
「たっくん、ずるいわよ。口説くのはもう少し後にして」
今度はTHE・柔道家が相変わらず低い声で言った。「たっくん」というのはTHE・おじさんの呼び名なのだろう。たっくんは「早とちりしてすみません」と謝っている。
そのやりとりを聞き、俺は全てを悟った。ここはガチの店だ。オネエ系の派手な店員などいない。ただの従業員だと思っていたこの男二人がこの店の主役。紛れもないゲイなのだ。派手で騒がしい店をイメージしていた俺はこの状況に面食らった。そして、先程の言葉を思い出して恐怖を感じた。
『たっくんずるいわよ。口説くのはもう少し後にして』
柔道家は確かにそう言った。「口説く」とはどういうことだろう。もしかして俺とのりおをそういう目で見ているのか。そう考えると今すぐにでも逃げ出したい気持ちになったが、一杯目が運ばれてきたばかりで退店するわけにもいかない。逃げ場を失った俺たちは、柔道家に促され、とりあえず乾杯をした。
「名前は?」
また低い声が耳に届いて、俺とのりおはそれぞれの名を告げた。
「しげるとのりおね。あたしはケンタよ。みんなからはケンケンって呼ばれてるから、君たちもそう呼んで」
「は、はい。わかりました」
ケンケンには妙な迫力があり、断れば何をされるかわからない気がした。
「あたしが一応ここの店長で、そこにいるのが従業員のたっくん」
ケンケンがそう続けると、たっくんが「店長って言っても、お客さんと飲んでばっかですけどね」と冷やかした。ケンケンは「そんなことないでしょう。ほんとやんなっちゃう」と返した。
その後はしばらく四人で会話をした。話してみると二人ともすごく気さくで、次第に俺の緊張はほぐれていった。
「ケンケンは柔道でもやってたんですか?」
すっかり気が緩んだのりおが直球を投げた。
「あたしってそんな風に見えるの?ほんとやんなっちゃう」
ケンケンはそういって左右の頬を膨らませた。
「若い時レスリングやってたんですよね?」
たっくんが畳みかける。
「それは誰にも言わない約束でしょ!なんでバラすのよ。ほんとやんなっちゃう」
どうやら「ほんとやんなっちゃう」が彼の口癖らしい。それにしても、ゲイのケンケンはどんな感情でレスリングをやっていたのだろうか…いや、考えるのはやめておこう。
「そっち行っていいかしら?」
ケンケンはそう言うと、俺たちの返事を待たずにカウンターの奥から客席側に移動してきた。そして、俺とのりおの間に無理やり腰を下ろした。この店のカウンター席は、珍しくベンチシートになっている。もしかしたら密着するための戦略なのかもしれない。隣に座ったケンケンはとにかくボディタッチが多かった。肩や腕、腰、太ももなど、いたるところを触ってくる。
「痛いっ!」
カウンターの内側で皿洗いをしていたたっくんが急に声を上げた。どうやら誤って食器を割ってしまい、指を切ったようだ。指先から出血している。結構深く切ったようで、傷口から溢れた血が糸のようにシンクに落ちていた。
「大丈夫?」
ケンケンが声をかける。
「ちょっと、舐めてくれない?」
たっくんが真顔で答えた。するとケンケンは、間髪入れずにたっくんの方に近寄り、血だらけの指を口に咥えた。そのまま、数秒の時が過ぎる。見つめ合う二人。俺は口を半開きにしてその光景を見ていた。正直、ドン引きしていた。
「よし、唾液消毒完了」
ケンケンは指を口から出してそう言った。そして、ポーチからキティちゃんの絆創膏を取り出して、患部に貼った。
だが、傷は予想以上に深かったらしく、血が止まる気配はない。キティちゃんは見る見るうちに赤く染まった。
「これ、ダメなやつだわ。病院行ってくる」
たっくんは真顔でそう言い残して店を出て行った。
「こんばんわ」
たっくんと入れ違いで一人の客が来店した。扉の方を見ると、綺麗なロングヘアの女性が立っている。すごく美人だったので、俺はつい見とれてしまった。申し訳ないが、この時点でたっくんのことは頭から消え去っていた。
「あらマサミ、いらっしゃい」
ケンケンがカウンター越しに声をかける。マサミという客は「どうも」と言いながら俺の右隣に腰掛けた。近くで見ると一段と美人だ。すごく良い香りがする。だが同時に、俺はこの女性になんとなく違和感を感じていた。
ドリンクが運ばれてきて、俺たちは一緒に乾杯をした。マサミがシャンパンをごくりと喉に通す。その時、俺は違和感の正体がなんなのかわかった。喉仏だ。男性にしかないはずのその隆起が、マサミの喉にはあった。シャンパンを飲むたびに上下に動いている。つまり、マサミは正真正銘の男性ということだ。
のりおは気づいているだろうか。俺は左隣に座っている彼に目を向けた。そこには、頬を赤らめてマサミの方を見つめるのりおの姿があった。これは完全に惚れている。

俺はすぐに耳打ちをして、マサミが男性であることを伝えた。
俺が「男だぞ」と小声で言うと、のりおは面倒くさそうに「わかってるよ」と答えた。
わかってるのになんで見惚れてるんだよ…
俺はのりおに不信感を抱きつつも、それ以上の深追いはしなかった。
気を取り直して飲んでいると、ヤンチャそうな若者二人組が来店してきた。どちらも金色に髪を染め、腕にはタトゥーが入っている。二人は店内を見渡し、案内を待たずにカウンター席に腰掛けた。奥から順に、のりお、俺、マサミ、若者A・Bの計五人が座り、狭いベンチシートの密度が一気に高まった。
「こいつら、テーブル席が空いてるのに無理やりカウンター席に座ってきやがって…さてはマサミに目をつけたな」
そんなことを考える俺の横で、マサミは静かに飲んでいる。
そのうち若者A・Bは、大きな声で品のない話を始めた。
ケンケンは無言で二人を見ている。
俺はなんとなく嫌な予感がした。
②に続く…


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