「営業とかけまして」の記事で登場した米津さんを覚えているだろうか。謎かけ好きの顧客である。いや、正確には顧客ではない。新規の商談で90分以上も会話したのに、結局空振りに終わったのだ。
先日、そんな米津さんから連絡があった。なんと、まさかの「契約したい」という内容だった。詳しく話を聞くと、事業拡大で急に人材が必要になったというのだ。それで、俺を思い出してくれたらしい。
俺はすぐに細かな提案を持って米津さんに会いに行った。相変わらず謎かけばかりする人だったが、なんとか契約がまとまりそうである。しかも、かなり大きな案件になりそうだ。ということで、米津さんは晴れて俺の顧客になったわけである。
俺は米津さんへの提案を終え「引き寄せた!」と叫んだ。「営業とかけまして」の記事にも書いたが、一度目の商談の少し前、俺は「引き寄せの法則」に関する書籍を読み、「強く願えば、望んだものが手に入る」と学んだ。そして、「営業力が向上した自分」を強く願って生活していた。そんな時、後輩の力丸から「営業はどれだけお客さんと仲良くなれるか」という言葉をもらい、それを米津さんとの商談で実践したのだ。そして、少し時間は空いてしまったが、それが今回の契約につながった。
やはり、引き寄せの法則は存在する。俺はそう確信した。そして、俺に契約という成果を引き寄せさせてくれた宇宙のパワーと力丸に感謝した。
「ありがとう!」
事務所に戻り、俺はそう言って力丸の肩をたたいた。
「なんすかいきなり?」
彼は驚いた表情でこちらを向いた。いつも通り、ツーブロックをビシッとキメている。俺は事情を説明した。
「俺の言うとおりにしとけば間違いないっすよ」
いつも通りの上から目線だ。初めのうちはこの態度に腹が立っていたが、ボウリングでの失態を見て以来、力丸のことが少し可愛く見えてきている。なんだか憎めない存在だ。
「他に何かアドバイスないかな?」
俺は恥を忍んで聞いてみた。いや、恥なんかじゃない。先輩後輩関係なく、結果を出している人に助言をもらうことは成長への近道だと何かに書いてあった。それに、俺は今でも引き寄せの法則を実践している。常に「営業力が向上した自分」を思い浮かべて生活しているのだ。こうやって積極的に行動していれば、絶対に何かを引き寄せるに違いない。
「そうっすね~しげるさん、まずは見た目から変えた方がいいっすよ」
畜生…言わせておけば…力丸の人を見下した発言に怒りが込み上げてきた。だが、結果のために今は我慢だ。
「見た目がそんなに大事なの?」
俺はなんとか平静を装い質問した。
「そうっすね。人は見た目が10割とかなんとか、そんな本もあるくらいですからね」
10割って、全部じゃないか…こいつは本当に適当な男だ。そう思いながらも俺はその助言を真面目に受け入れることにした。
俺が見た目を変えるために実行したことは2つある。まず散髪だ。力丸やいわゆるデキる営業マンは、皆ツーブロックの印象がある。俺は早速、行きつけの床屋「1000円カット DO MY BEST」に足を運んだ。入口入ってすぐの券売機で1,000円の券を購入する。ラーメン屋スタイルだ。ちなみに11枚つづり10,000円の回数券も販売している。これは喫茶店スタイルだ。
他に客がいなかったので、そのまま席に通された。いつ来ても客は少ない。店は店主と助手らしき中年女性が二人で切り盛りしている。店主は薄毛の眼鏡、かつ小太りだ。いつも襟付きの白シャツを着ており、清潔感はそれなりにある。足元はアディダスのスニーカーだと思っていたが、よく見るとラインが4本あった。
「どうしますか?」
散髪の準備が整い、店主が俺に聞いてきた。その瞬間、自分の鼓動が早まるのが分かった。俺は緊張している。なんとオーダーしたら良いのだろうか。これまでの人生で「伸びた分だけ」としか言ったことのない俺には大きなハードルだ。
「ツーブロックお願いします」
俺は意を決して言った。
店主は「え?」という言葉を発し、驚きの表情を見せた。俺は「できますか?」と聞いた。ツーブロックはおそらくいつものカットより難易度が高いだろう。1,000円カットでそこまでのサービスを提供してもらえるのか、不安だった。
「全力でやってみます」
さすが店名が「DO MY BEST」なだけある、と俺は思った。と同時に、すごく不安になった。そこは、できるかできないかで返事をしてほしかった。だが、ここまで来てしまった以上「やめておきます」なんてカッコ悪い言葉は吐けない。
「お願いします」
俺はそう答え、鏡越しに映った薄毛の眼鏡、かつ小太りの男に全てを委ねた。
カットは着々と進んでいった。店主はバリカンを持ち、俺の毛を刈っていく。途中、「あっ」という言葉が3度ほど聞こえたのが気になった。
30分ほどしてカットは終了した。店主は合わせ鏡をして後部やサイドの髪型を俺に見せ「こんな感じです」と言った。正直、見てもよくわからない。仮に「なんか違うな」と思ったとして、それをどう伝えていいかわからない。それに、これが彼の「BEST」なのであれば、素人の俺に何か言う資格はないと思った。だからいつも通り「オッケーです」と返した。
店を出て自分の頭部を触ってみる。これがツーブロックか、としみじみ思う。短く刈り上げられた毛の上に長い毛がかぶさっている。すごく新鮮だ。カットが成功したのかは不明だが、自分が生まれ変わったような気がしてテンションが上がった。
もう一つ、俺が見た目を変えるために実行したことは、スーツの新調である。力丸の話を聞き、確かに地味でヨレヨレのスーツは良くないと思った。そこで、彼がいつも着ているような、シュッとした明るい色のスーツを新調することにした。
俺は早速、今流行りのオーダースーツ専門店へ出かけた。本当は近所にある「テイラー哲二」にしようと思ったのだが、店はボロボロだし、白髪のおじいちゃん(おそらく哲二さん)が一人でやっているらしく、頼りないのでやめておいた。
店内に入ると、すぐにスタッフが寄ってきた。さすが流行っているだけあって、丁寧な対応だ。その後は、担当のオシャレなお兄さんから言われるがままに形や生地などを選んだ。形はイタリアンスタイルとか言っただろうか…すごくタイトな感じだった。生地の色は力丸がよく着ているものと似た、限りなく青に近い紺にした。あとはジャケットに合わせてベストも購入し、さらにはオプションでボタンや裏地もグレードアップした。あとは納品を待つだけである。俺は新しいスーツを着て契約を成立させるツーブロックの自分を想像しながら家路についた。
三週間後、新調したスーツが家に届いた。俺はもちろんすぐに試着した。鏡の前でモデルのようにポーズを決めてみる。いい感じだ。できる男っぽい。だが、一つだけ難点があった。季節は夏真っ盛り。ベストを着ると非常に暑い。俺は頭を抱えた。ベストは冬まで温存しておくべきなのか。悩んだ末、ベストもすぐに着用することにした。「オシャレは我慢よ」と昔ピーコさんも言っていたし。
翌日、真新しいスーツに袖を通し、意気揚々と出社した。
「どうしたの?」
すでにデスクにいた中山課長は目を丸くしてそう言った。俺のイメチェンに驚いているようだ。
「いえ、どうもしてませんよ」
俺は涼しげな顔で答えた。本当は、ベストのせいでとても暑かった。
「え?」
少し遅れて出社してきた長谷川さんがそう言った。人を見て「え?」はないだろうと思ったが、構わず「おはよう」と爽やかに返しておいた。ところで今日は真夏日らしい。肌着が汗で湿っているのがわかる。
「髪型の次はスーツかい!お前、最近変だぞ?」
松さんの反応は直球だった。そして言葉を続けた。
「これまで言うの我慢してたけど、その髪型、パイナップルみたいだぞ」
カットして1ヶ月ほど経つが、そんな感想を持たれていたなんて。まあ、確かに自覚してはいた。刈り上げの範囲が広すぎるのだ。そのせいで被せる髪の面積が極端に狭い。さらには、(これは俺の責任だが)慣れない整髪料を使って毛先を遊ばせようとした結果、髪がツンツンに尖ってしまっている。

だが俺は気にしない。凡人が先駆者を馬鹿にするのは世の常だ。しかし真夏にベストは暑いな。
「WHY?」
吉田さんは帰国子女らしく英語で反応した。彼女は焦ったときや驚いたときに、反射的に英語が出ることがある。厚切りジェイソンを彷彿とさせる「WHY?」だったので、松さんが「ジャパニーズピーポー!」と続けた。俺は額の汗を拭きながら、そのやりとりを聞いていた。
しばらくして、トイレに行こうと席を立った。その時、急に目眩がして、俺はその場にしゃがみこんでしまった。意識が朦朧としている。こんなの初めてだ。すると、中山課長が席を立って走り出し、自販機でポカリを買ってきてくれた。俺はそれを迷わず一気飲みする。体の隅々まで水分が行き渡り、生き返る心地がした。俺はどうやら熱中症だったようだ。課長には「こんな暑い日にベストなんか着てるからだぞ」とたしなめられた。俺はしょうがなく、ベストを脱ぐことにした。
この日は午後に一件商談が入っていた。力丸の助言通り、まずは見た目を完璧にした。だが、これだけではまだ不十分である。実は、力丸からは他にも二つのアドバイスをもらっていた。まず一点目が「とりあえず全て肯定する」こと。力丸は「最初はひたすら相手の言うことに同意して良い気分にさせるんすよ。肯定されて嬉しくない人っていないじゃないっすか」と言っていた。当たり前のことであるが、商談であまり意識したことはなかった。そして二点目は「やらないリスクと、やったときのリターンをイメージさせる」こと。これは力丸にしては的を射ていると思った。
ということで、早速商談で実践してみることにした。この日訪れたのは老舗の菓子メーカー。せんべいなどの米菓を中心に商品を展開している。創業百年以上の歴史があるらしく、せんべい業界ではそれなりに有名とのことだ。商談の相手は人事部長。かなり癖の強い関西人である。席に座るなり「これ食べてみい!」と自社のせんべいを強引に渡してきた。
「どや?」
感想を聞かれたので、「おいしいです」と正直な感想を答えた。
「パリッと感がちゃうやろ?」
「ちゃう」かどうかはわからなかったが、確かにパリッとはしていたので「はい」と返した。力丸の助言通り、まずは相手を肯定するのだ。
人事部長は次に他社のせんべいを渡してきた。「食べてみい!」と言われたのでその通りにする。前歯で噛むとパリッと音がして二つに割れた。
「全然パリッとせえへんやろ?」
人事部長が聞いてきた。正直、パリッと感にほとんど違いはなかった。だが、今日は全てを肯定すると決めたのだ。心を無にして肯定しよう。俺はここからギアを上げることにした。
「はい!全然パリッとしませんね!御社のせんべいの方が断然パリッとします!」
俺がそう答えると、人事部長は満足げな表情で「そやろ?」と口にした。そして、自分も他社のせんべいを口に運んだ。
「相変わらず全然パリッとせえへんな。こんなんパリやのうてマルセイユあたりやで!」
おそらく、フランスの都市つながりのボケなのだろう。わかりにくいし、全然面白くない。
「いや~ほんとですね!」
だが俺は躊躇なく肯定した。
「そこはツッコまんかい!」
どうやら肯定するところではなかったらしい。
「せんべいは酒にも合うんやで!俺は毎晩せんべいと日本酒で晩酌しとる!」
人事部長は話を続けた。
「さすが部長!通ですね〜!せんべいも日本酒も米が原材料。米と米の組み合わせが斬新ですね。私も今晩試してみます!」
俺は少し大袈裟なくらいに肯定し続ける。
「米と米で米米CLUBってか!」
また面白くないことを言いっているが、俺は「はい!」と元気良く肯定した。
「そこはツッコまんかい!」
また間違えたようだ。
その後も肯定し続けていると、人事部長はかなり上機嫌になった。それを見計らい、俺は仕事の話を切り出した。次は「やらないリスクと、やったときのリターンをイメージさせる」の実践だ。
「ところで部長、求人サイトを利用するか迷っているとのことですが、もし利用しなかったらどうなるんですか?」
まずは、やらないリスクを聞く。
「自社のホームページだけで募集することになんねんけど、応募は集まらんやろな」
部長はそう言って顔をしかめた。俺は「集まらなかったらどうなります?」と質問した。
「そりゃ社長にどつきまわさられるで」
部長の表情に恐怖が滲んだ。
俺が「社長ってそんなに厳しいんですか?」と問うと部長は「当たり前やないか!張り手が飛んでくるで!」と言い放った。
続いて「それなら失敗できませんね?」と聞くと「そや!成功するしかないんや」と返ってきた。
よし、ここからは、やった時のリターンをイメージさせるフェーズだ。
「どうなったら成功ですか?」
まずはゴールを明らかにする。
「そやから社員が集まることやないかい!」
質問を通して部長の頭を整理させることが重要だ。
「そしたらどうなんるですか?」
ここでリターンをイメージしてもらう。
「もっとたくさん製造できて、売上も爆上がりや」
部長の気持ちが盛り上がってきた。
「あとは?」
リターンは多い方がいい。
「そりゃ俺の評価も爆上がりや!ボーナス増額間違いなしやで!」
部長は完全にリターンをイメージしている。正直、こんなに上手くいくとは思ってなかった。
「私にお手伝いさせてください!うちの求人サイトならきっと採用につながります!」
俺は「今がチャンス」とばかりに提案した。
「詳しく説明してみい」
ここまでくれば、あとはいつも通り自社サービスをプレゼンすればいい。もちろん、相手が抱えている課題のヒアリングや、解決策の提示を忘れずに。この辺りは営業研修で叩き込まれているし、普段から実践しているためお安いご用だ。
俺は説明を終え「このプランでご契約いただけませんでしょうか?」とクロージングした。
「そやな、お前さん、スーツもパリッとしとるし、契約したるわ!」
まさかの即決だった。しかも最後の決め手がスーツって…この人はどれだけパリッとが好きなんだよ。
というわけで、力丸からのアドバイスによって、これで二件の契約が取れた。引き寄せの法則の効果は本当に侮れない。
「ありがとうございました!」
商談後、これまで出したことないくらい大きな声でお礼を言って、商談先を出た。人事部長はお土産にたくさんのせんべいを持たせてくれた。
帰り道、営業車の中で頂いたせんべいを食べる。
パリッ!パリッ!パリッ!
車内に心地良い音が響き渡った。


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