俺は運が悪い。
生まれてから三十年弱、一度も「ビンゴ」と言ったことがない。良くて「ダブルリーチ」まで。穴が3つしか空かなかったこともある。
高校時代、サッカー部で努力の末レギュラーになったのに、俺より上手い転校生がいきなり入部してきたこともあった。そして一瞬でレギュラーを奪われた。彼の名は、たしかリカルド。たまたま日本に移り住んできたスペイン人で、母国の強豪チームでプレーしていたこともある逸材だった。
こんなこともあった。スキー中にすごい勢いでおばさんが突っ込んできて骨折。白熊みたいな、ふくよかなおばさんだった。「こういう時は普通かわいい女の子だろ!」と心の中で叫んだ。ドラマとかでそういう展開はよくあるし。骨折の代償を払うなら、それくらいの恩恵がないと割に合わない。

二人抱き合ってゲレンデを転がり、女性が上、俺が下でピタッと止まる。見つめ合う二人。BGMはカズン。
今 空を舞う 粉雪を 溶かすように
ぬくもりから この冬を 始めよう…
さすがの俺も、おばさんとは冬を始められない。俺の求めてた冬のファンタジーはこれじゃない。
とまあ、例を挙げればきりがない。
でも「自分は運が悪い」と思うのはあまり良くないらしい。
パナソニックの創業者である松下幸之助さんは、採用面接で「あなたは運がいいですか?」と質問していたらしい。「運が悪い」と答えた人は問答無用で不採用にしていたんだとか。なぜこんなことを質問していたかというと、俺なりの解釈では「何事もプラスに捉えることが大事。それができる人が成果を残せる」ということだと思う。
松下幸之助さん自身、成長できた要因を尋ねられた際には「運が良かったから」と答えていたそうだ。
●貧しかった
●学問がなかった
●体が弱かった
このような現実に対して、
●貧しかった
→丁稚奉公に出され、幼いころから商売を学べた。人々を豊かにしたいという思いにつながった。
●学問がなかった
→周囲の話を聴き、知恵を借りる姿勢につながった。
●体が弱かった
→周囲の力を借りて仕事をしてもらう姿勢につながった。
このようにプラスに捉えていたらしい。なるほど、一見すると「不運」に思われることでも、見方を考えれば「幸運」に変わる。そういうことか。俺はこの考え方に感銘を受けた。そこで今日一日、何が起きても「運がいい」と捉えて生活することにした。
まず向かったのは近所の服屋。家を出ると、これぞ日曜の朝って感じの眩しい光が俺を出迎えた。見上げれば雲一つない青空。今日はいいことがありそうな気がする。
愛用のママチャリをこぐこと5分、「トータルファッションやまむら」に到着。ここは俺の行きつけのショップで、「しまむら」も驚きの低価格でオシャレな服を売っている。昨日チラシが入っていて、すごくオシャレなパーカーを見つけたから買いに来たのだ。
店に着くなりメンズの売り場に直行し、目当てのアイテムを探した。だが、どこにも見当たらない。俺が欲しいのは半袖パーカー。色違いはあるのだが、俺の欲しい色味がない。紫のものが欲しかったのだが、店頭にあるのは白だけだ。店員に尋ねたところ「朝一で五枚まとめ買いしたお客様がいて、売り切れたんです」とのこと。「どんだけ運悪いんだよ!」と心の中で叫んだ。
いや駄目だ。今日は何があっても「運がいい」と思うのだった。必死で考えた結果、「欲しい服がなかったことでいつもと違う選択ができて、オシャレの幅が広がった」と思うことにした。そして、この既成事実を現実化するため、普段は選ばないような服を選んで購入した。白地に黒で「explosion」とプリントされたノースリーブシャツ。筆記体だからかなりスタイリッシュな印象だ。単語の意味は分からないけど、きっと「虹」とか「波」みたいな、さわやかな単語なんだろう。
店を出て時計を見ると、正午ぴったり。昼飯を食べにラーメン屋に行くことにした。向かったのは前から気になっていた人気店。今日もたくさんの人が並んでいた。駐輪場に自転車を停めて鍵をかける。だが、さび付いていて思うようにいかない。5分程悪戦苦闘したが、結局駄目だった。「帰ってクレ5-56でもかけて滑らかにしよう」と考えつつ、鍵をかけずに列の最後尾に向かった。鍵と格闘している間に二、三人に抜かれたが、問題はない。時間ならたっぷりある。逆に、並ぶ時間が長いほど美味しく感じるかもしれない。壁が高いほど得られるものは大きいみたいなニュアンスの歌詞をJ-POPでよく耳にするし。
待っている間は、前に並んでるカップルの会話を盗み聞きして暇をつぶすことにした。いかにも頭の悪そうなマイルドヤンキーカップルだ。男のサングラスには何やら文字が書いてある。目を凝らしてよく見ると「Ray-Ban」と確認できた。よくわからない。レンズの右上に書いてあり、いかにも邪魔くさそうだ。おそらくシールのはがし忘れだろう。指摘してやろうとも思ったが、面倒なことになりそうなので盗み聞きに集中することにした。
男「いい服あってよかったな」
女「うん」
男「あんなので大丈夫か?紫の半袖パーカーってヤバくない?」
俺「ん?」
女「あれくらいダサい方がいいの」
男「男物だからサイズでかくない?」
女「でかい方が面白いじゃん。インパクトあって」
男「そっか、結婚式の余興で使うんだもんな」
女「女5人であれ着てよくわからない動きするの。面白くない?」
男「マジ面白そう」
女「私『トータルファッションやまむら』なんて初めて言ったわ」
俺「ん?ん?」
男「あんな店、普通行かないでしょ」
女「だよね」
俺の目当ての品を買い占めた犯人だった。しかし、あの服が面白いとか、結婚式の余興で使うとか言ってたのが理解できない。なんとセンスの悪いカップルだろうか。
そんなこんなで列に並ぶこと約1時間。ようやく前のカップルが入店した。しばらくすると、店主らしき人が出てきた。俺はこの店主が次に何を言うか知っている。ずばり「先に注文お決まりですか?」だ。これまで何人もの客がそう聞かれ、その後入店していった。さあ俺にも聞いてくれ!元気ハツラツに「チャーシュー麺大盛で!」と答えるから!さあ!
だが、店主は予想外の言葉を口にした。
「すみません、スープが切れたので今日は閉店です」
すごく申し訳なさそうな顔で、だけど自信ありげに。これはどう考えても運が悪い。松下幸之助氏でもプラスに捉えられないレベルだ。俺は頭をひねって考えた。この状況を、どうにか「運がいい」と思えないものか。
「事前アナウンスの大切さを学ぶことができた」
これだ。もしこの先、俺がラーメン屋を開業したとして、スープが切れそうになった際は、事前にお客さんに告知しよう。「そろそろ切れそうです」と。そうすればお客さんのショックも半減するだろう。良い学びを得ることができた。俺は運がいい。
その後も色々と試練の多い一日だった。自販機でジュースを買おうとしたら釣銭切れで買えなかったり、自転車こぎながら大声で歌っているのを知り合いに聞かれていたり。だが俺はその度に不運を幸運に変換した。
そうこうしているうちに、時計の針は午後五時を回っていた。今日は合同コンパに参加する予定がある。普段は断るのだが、幹事がどうしてもと言うので今日だけは参加してやることにしたのだ。
俺は駅に自転車を停め、電車で会場に向かった。開始時間までまだ余裕がある。会場に早く到着して「やる気がある」と勘違いされても困るので、近くのコンビニに立ち寄った。そして、普段は読まない「BRUTUS」や「Tarzan」などの雑誌を眺め、それっぽく時間をつぶした。それでも時間があったので「であれば」と思い、今日手に入れた「explosion」のシャツに着替えた。
新品のノースリーブシャツでコンビニを出る。計算通り、開始時間の五分前に店に到着した。今日の参加者は男女四人ずつ。のはずだったが、男性側の幹事が来れなくなり、急遽四対三で行うことになった。俺以外の男二人は既に店の前で待ち構えていた。聞けば、今日の女性陣は美人揃いらしい。俺は「絶対に仲良くなって、LINEなどを交換し、二人で連絡を取り合う仲になるぞ」と心の中で意気込んだ。ふと、LINEでの連絡先交換方法を知らないことに気がつき、素早くネット検索して頭に入れた。いざという時に手間取るのはカッコ悪いので、先に気がついて本当によかった。
時間ぴったりに女性陣が到着。全員揃って店内に入る。八人用の座敷に通された。靴を脱ぎ、下駄箱へ。その時、衝撃の事実に気づいてしまった。俺の靴下が、破れてる。右足の親指が「こんにちは」と言わんばかりに外に出ている。俺は瞬時に、流れるような動きでそれを隠した。具体的には、破れている部分の生地をグイっと引っ張って足の裏の方へ持っていったのだ。この即座の対応により、なんとかバレずに済んだ。
だが本当の悲劇はこの後に起きた。席に着いたとたん、隣に座った女が開口一番「かかと破れてるよ~」と言った。まさかのつま先とかかとダブル破れ。俺は反射的にかかとを隠す動きを取った。すると、それにより、ふいにつま先の緊張が解け、足の裏に持ってきていた部分が指の方に戻された。そして、また親指が「こんにちは」状態となった。「親指も破れてる~。ダブルじゃ~ん。うける~」と女が言った。その日の俺のあだ名が「ダブルくん」に決定したことは言うまでもない。
結局、新しいあだ名以外に何の収穫もなくコンパは終了。調べたばかりのLINE連絡先交換も披露できなかった。さすがの俺もプラスに捉えることはできず、ショックを引きずって帰路についた。
途中、昼のラーメン屋の前を通ると「営業中」の文字が光っている。俺は、まるで光に群がる虫のように、一直線に店へと吸い込まれた。
店内はほぼ満席だったが、なんとかカウンター席に座ることができた。
店長がこちらを見る。申し訳なさそうな、だけど自信ありげな顔をして口を開く。俺は「その顔、昼も見たぞ…まさか…」と思った。昼の記憶が蘇り、嫌な予感がした。次の瞬間、店長は「お昼は申し訳ありませんでした。ご注文は?」と言った。
「チャーシュー麺大盛で!!!」
おれは人生で一番声を張った。店長は俺の顔を覚えてくれていて、昼のことを謝ってくれた。
それだけではなく、チャーシュー2倍のサービスまでしてくれた。味も最高だった。俺は本当に運がいい。
ラーメンを完食し、程よい高揚感を感じて帰宅した。風呂に入り、部屋着に着替える。さあ、本番はここからだ。実は今夜、ずっと楽しみにしていたスポーツ中継がある。国際中継だから時間は遅いけど、絶対に生で見ると決めていた。ソファを少しテレビに近づけ、視聴体制を整える。テレビのスイッチを入れる。おかしい。画面は暗いままだ。何度ボタンを押しても状況は変わらない。
その後もあらゆる方法を試したが、電源が入ることはなかった。どうやら故障しているらしい…
結局、楽しみにしていた中継は見れなかった。最後の最後でこの運の悪さはなんなんだ…
狭い部屋に似つかわしくない大きなテレビが、うんともすんとも言わず、部屋の隅に鎮座している。ふと、フレームに印字された「Panasonic」の文字が目に入った。俺は松下幸之助氏を恨んだ。


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