父 後編

その後も父は早いペースで動画を投稿し続けた。どれだけ暇なんだろうか。俺はそう呆れるとともに、一つのことに熱中できる父を素直に凄いと思った。

初めのうち、動画は全く再生されなかった。だが、投稿を重ねるうちに少しずつ再生数は伸び、コメントも付くようになった。内容は相変わらず体を張ってギリギリに挑戦するというものである。最初の動画の人気が思いのほか高く、その後も苦い+甘いや、酸っぱい+しょっぱいなど、シリーズ化している。またそれ以外にも、限界までスクワットする動画や、ひたすら正座をする動画などを投稿している。そんな中でも、特に再生回数が多い企画をいくつか紹介したい。

まず一つ目は「ギリギリチョップ」というタイトルの動画だ。内容としては、知り合いのアマチュアレスラーを連れてきてチョップをしてもらい、痛みを我慢できるギリギリの強さを探るというものだ。なぜ父にアマチュアレスラーの知人がいるのかは謎であるが、実際にドンキー小山というムキムキのレスラーを招喚していた。父のペラペラの胸板にドンキ―の強力なチョップがお見舞いされる。その威力は回数を重ねるごとに増していった。

「まだいける。もう少し強くして」

初めは父も強気な姿勢だった。

パチーン!

鋭い音とともに渾身のチョップがさく裂する

「ふーふーふー」

10回目あたりから父の様子がおかしくなってきた。

「次、いきますよ」

ドンキー小山の辞書に遠慮という言葉はない。

バッッチーーン!

これまでで一番大きな音が鳴った。父はついに立っていることすらできなくなった。胸を押さえてうずくまり、苦しそうにしている。どうやらこれが限界のようだ。

「ギリギリチョップ…これがB’zが言っていたギリギリチョップだ…」

父は息苦しそうにそう言って動画を締めくくった。コメント欄には「絶対違う」というツッコミで溢れた。

次に紹介したいのは「ギリギリまでくすぐられてみた」という動画だ。タイトル通り、延々とくすぐりに耐えるという誰も得をしない動画である。

「くすぐり役として特別ゲストをお呼びしています」

父はそう言ってある人物を部屋に招き入れた。ドアが開き、部屋に誰かが入ってくる。見覚えのある女性だ。それは紛れもなく俺の母だった。

「妻です」

父はそう紹介すると、早速母に自分をくすぐるよう指示した。繰り返しになるが、本当に誰も得をしない動画だった。いったい誰が、中年の夫婦がくすぐりくすぐられる姿を見たいというのだろう。しかし、それに反して再生回数はかなり伸びたのだから、世間とはつくづくわからないものである。

くすぐりは、まず足の裏からスタートした。父がぴくぴくしながら必死に耐えている。次に、母の攻撃は脇腹へと移動した。無言のまま右に左に体をよじらせる父。実にシュールな映像だ。その後も母は様々な部位を攻め続けた。時折父から発せられる「あぅ、あぅ」という喘ぎは、実に気色が悪い。結局、五時間が経過したところで父がギブアップをして動画が終了した。

最後に、「熱湯風呂」という動画を紹介したい。これもタイトル通り、風呂の熱さの限界を検証する動画だ。ルールは簡単。高温の風呂に1分間入っていられれば成功とし、成功した場合は温度を1℃上げて次のステージに挑戦する。それを繰り返し、1分間入っていられなくなった時点で挑戦終了となる。ちょうど、筋肉番付のモンスターボックスと同じ要領である。

画面に登場した父は、もうお馴染みになった虹色の髪に、爽やかな青いブーメランパンツをはいている。設定温度は45℃からスタートした。父は熱さに強いらしく、池谷直樹ばりの涼しい顔で成功していく。しかし、49℃まで来たところでさすがの父にも限界が訪れた。なんとか1分間入っていることはできたものの、浴槽から出た瞬間、床に倒れこんでしまった。身体は真っ赤に変色している。

「母さん、助けて…」

父は声を振り絞って母を呼んだ。意識が朦朧としていて、本当に危ない状況のようである。幸いにも、母はすぐに浴室に来てくれた。

「水かけて…」

体を冷やすため、シャワーで水をかけてほしかったのだろう。だが、何も知らない母はここで得意の勘違いを披露した。浴槽の熱湯を洗面器ですくいあげ、父にかけてしまったのである。

「アチーーッ」

父の悲鳴が浴室に響いた。母は状況を理解できず、目が点になっている。その後、父はなんとか事情を説明し、水をかけてもらっていた。

母は「何バカなことやってるの」と呆れ顔で、早く風呂から出てくるよう促した。それに対し父は「まだ挑戦する」と言い返した。次は50℃に挑戦すると言うのである。母がやめるよう説得しても聞く耳を持たない。それはもうケインコスギばりの真っ直ぐな瞳で「まだ挑戦する」と繰り返している。結局、母が根負けして企画を続行することになった。

そんなこんなで浴槽に50℃の湯が張られた。湯気の量が尋常じゃない。さすがの父も入るのに躊躇しているようだ。湯船に指をつけては出すという動作を繰り返している。せっかちな母が「早く入らないと冷めるわよ」と急かした。先程まであんなに止めていたのに…なんと変わり身の早い人だろう。

母に急かされた父は、「わかったよ」といいながら浴槽の縁に両足を乗せて膝を曲げた。

「押すなよ押すなよ、絶対押すなよ」

父は背後の母にそう言った。俺は嫌な予感がした。そして次の瞬間、それは現実となった。

バシャーーン!

母得意の勘違いが炸裂した。父の背中を勢い良く押し、熱湯の中に突き落としたのだ。

「アッチーーーーー!」

父は慌てて浴槽からで出て、床に転がった。紅に染まった体から湯気がたちのぼっている。

「なに押してんだー!」

珍しく怒る父。

「でも、『押すな』ってことは、『押して』ってことじゃないの?」

母はなんの罪悪感もなく言い放った。ダチョウ倶楽部のファンである彼女にとって、それは当たり前のことだった。

「『押すな』ってことは『押すな』ってことだろ!お前はアホか!」

だが、お笑いに全く興味がない父に理解できるはずがない。その後、しばらくの間言い争いが続き「もういい!」という父の言葉で動画が終了した。

以上が動画の紹介だ。このように破茶滅茶な動画を投稿してファンを増やしていったギリギリチャンネルだったが、ある日を境に動画の方向性が大きく変化した。

「大学受験に挑戦します」

父が唐突にそう宣言したのである。高卒で仕事に就いた父は、これまで真剣に勉強をした経験がない。そんな父がなぜ受験に挑戦するなどと言い出したのか。本人の説明によると、二つの理由があるらしい。一つ目は、単純に自分の学力を知りたいという思いだ。これまで学力とは無縁の人生を送ってきたため、本気を出して勉強したらどれくらいのレベルまで行けるのか知りたいらしい。二つ目は、環境問題について学びたいという欲求だ。たまたまテレビで「地球温暖化でシロクマが減っている」という特集を見てスイッチが入ったとのことである。

これまでも書いてきたが、父は一度スイッチが入ると凄まじい集中力を発揮する。受験を決意してからは、起きている間は食事と風呂とトイレ以外の全ての時間を勉強に費やした。そして、その様子を毎日動画で配信した。カフェっぽい音楽をBGMに、おじさんがただひたすら勉強している映像に需要はあるのだろうか。

「この人、マジで常に勉強してる。俺も頑張ろう」
「程よいBGMもGOODです!集中できます!」
「目標に向かって頑張る姿、カッコいいです」

コメント欄には意外にもポジティブな言葉が並んでいる。体を張った動画を投稿していた時に比べ視聴者は減ってしまったが、それでも一定数のファンは存在しているようだ。どうやら、父の配信を再生しながら勉強している受験生が多いようである。

それから一年数カ月、父はひたすらに勉強した。来る日も来る日も、ただがむしゃらに机に向かい続けた。当初は短かった髪が、ボサボサに伸び散らかされた。時間がもったいないと言って散髪をしていないからだ。毛先だけカラフルな髪が父の努力を物語っている。また、いつからか机の上にはシロクマのぬいぐるみが置かれていた。母がプレゼントしたものらしい。悔しいが、夫婦の愛を感じて心が温まる。

そして、とうとう入試当日となった。受験するのは家から通えて環境系の学部がある大学。その一校に絞って受験するらしい。お世辞にも偏差値が高い学校とは言えないが、ゼロからスタートした父が合格すれば、快挙と言っていいだろう。身支度を整えた父は、カメラの前で「行ってきます」とだけ言って家を出て行った。疲れは感じられるが、とても凛とした表情をしていた。

その日を境に、父の配信はパタッと無くなってしまった。視聴者の中には試験がどうだったか気にしてくれている人もいるのだから、手応えくらいは伝えてもいいと思うのだが…まあ、それをしないのも父らしさなのかもしれない。俺がメールで試験の感触を聞いても「わからん」と返信が来るだけだった。母に確認すると「結果発表まではそっとしておいてくれ」と言って部屋にこもっているらしい。

思い返せば、母から「チチキタクスグカエレ」という電報風メールが届いたのが約二年前。父はそれから半年ほど過激な動画を投稿し続け、その後は一年以上勉強漬けの毎日だった。さすがに、少し休む時間が必要なのだろう。

数週間が経ち、ついに合格発表の日がやってきた。結果は大学のホームページで公開される。父が頑なに受験番号を教えてくれなかったため、俺は母からの連絡を待つしかない状況だ。結果が気になり、朝から仕事に身が入らない。五分おきにスマホを確認した。

「連絡がないということは、不合格だったのか」そう諦めかけたとき、ついに母からのメールが届いた。

「サクラサク」

またしても電報風メール。たったの五文字。だけど、これだけで十分に伝わってきた。父と母の満足げな表情が目に浮かぶ。俺は無意識に「ヨッシャー!」と叫んでいた。

現在父は大学に入学し、やりたかった環境の勉強に取り組んでいる。今もギリギリまで自分を追い込んでいることは言うまでもない。

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